大人になったはずなのに、まだ大人になれていない気がする──「将来の自分」が遠い理由

  • URLをコピーしました!

「老後」とか「将来」とかって、いつのことなんだろう。
「いつかお金が貯まったら」とか「いつか落ち着いたら」の「いつか」って、いつくるのだろう。

年齢的にはもう大人です。
仕事をして、税金も払って、自分の暮らしを自分で回しています。

社会の視点で見れば、どこからどう見ても「大人」のはずです。
でも、「老後」とか「将来」とか聞こえてきても、どこかでなんだかピンとこない。

考え方は大人になっているのに、心のどこかではまだ子どものままのような気がする。
「いつかちゃんとした大人になるのだろう」と、自分の人生をどこか遠くから眺めているような感覚。

でも、気が付けば『大人』になっている。

この記事では、そうした「大人になりきれない」感覚の裏側に何があるのかを、心理学と神経科学の研究を手がかりに見ていきたいと思います。

目次

「大人になった」はずなのに、実感が追いつかない


どこからどう見ても大人で、頭でもわかっているはずなのに、内面では「自分はもう大人なんだ」という実感がなかなか追いつかない。そんな不思議な感覚を覚えることがあります。

「大人になれていない」と聞くと、精神的な未熟さや幼稚さの話を思い浮かべる方もいるかもしれません。具体的には、心理学者の加藤諦三さんが著書で語る「五歳児の大人」のように、責任を取りたがらない、自己中心的な態度をとる、といったイメージです。あるいは、「ピーターパン症候群」という言葉を聞いたことがある方もいるでしょう。

でも、ここで扱いたいのは、そういう話ではありません。
もっと静かで、名前のつきにくい違和感です。

責任もしっかりと取っています。
仕事もしています。
自分で考えて、自分で判断して、日々を回しています。
それなのに、「将来の自分」という存在が、どこかぼんやりとしか見えず、「老後」や「◯年後」が、まるで知らない誰かの話のようで、自分のこととして実感を帯びてきません。

こうした感覚は、一般的な「精神的な未熟さ」とは違うからこそ、身近な言葉で説明するのが難しいのかもしれません。

私の参加しているFP(ファイナンシャルプランナー)の勉強会で、以前、「『老後』とはいつのことか?」という命題が議論されたことがありました。あとは、私が以前勤めていた工場では、上司との面談で「『3年後、5年後、10年後』どうなっていたいか?」といった質問を投げられたこともありました。

ですが、いずれも漠然としたもので、どこかあやふやで答えらしい答えは出ませんでした。FPのほうでは、多くの方々の頭脳があって、なおも曖昧だったのです。

ただ、調べてみると、心理学と神経科学の研究のなかには、この感覚を説明してくれそうな手がかりがいくつか存在していました。

脳は「未来の自分」を他人として扱っている


「将来のことを考えると、どこか他人事に感じる」。この感覚に対して、脳科学の側からひとつの説明を与えてくれる研究があります。それが、スタンフォード大学(現UCLA)の心理学者ハル・ハーシュフィールド(Hal Hershfield)らによる「未来の自分との連続性(Future Self-Continuity)」に関する一連の研究です。

未来の自分について考えるとき、脳は「他人モード」になることがある

ハーシュフィールドらは2009年、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使って、人が「今の自分」と「未来の自分」について考えるときの脳の活動パターンを比較する実験を行いました。

実験では、参加者に性格や特徴を表すたくさんの形容詞(例:「親切な」「誠実な」など)を提示し、「今のあなたに当てはまりますか?」と尋ねる課題と、「10年後のあなたに当てはまりますか?」と尋ねる課題を出しています。このとき研究者が注目したのは、内側前頭前皮質の一部である吻側(ふくそく)前帯状皮質(rostral Anterior Cingulate Cortex:rACC)と呼ばれる脳の領域でした。この領域は、自分自身について考えるときに活発になることが先行研究から知られています。

その結果は実に興味深いものでした。
「今の自分」について考えたときには、この領域がはっきりと活発に反応しました。しかし「10年後の自分」について考えたときには、反応が弱まる人がいたのです。しかもその弱まり方は、「他人について考えたとき」の脳の反応パターンに近いものでした。

つまり、脳のレベルでは、「未来の自分」を文字通り「自分ではない誰か」のように処理している、ということです。

心理的なつながりが薄いほど、「将来」は遠くなっていく

さらに重要なのは、この「今の自分」と「未来の自分」のあいだに感じるつながりの強さに個人差がある、という点です。ハーシュフィールドらはこのつながりを「未来の自分との連続性(Future Self-Continuity)」と呼んでいます。

2009年の研究に続いて行われた一連の実験では、この連続性が弱い人ほど、将来のための貯蓄行動が少なく、目先の報酬を優先しやすいことが繰り返し確認されました。行動経済学では「時間割引(Temporal Discounting)」と呼ばれる現象ですが、将来の価値を割り引いて感じてしまう度合いが、未来の自分との心理的な距離と結びついていたのです。

この「時間割引」を私たちの日常に当てはめてみると、よくある先送りの原因が見えてきます。たとえば「老後のための貯金をした方がいいとわかっているのに、なかなか手がつかない」。あるいは「将来の健康のために運動を始めたいのに、ずるずると先送りにしてしまう」。こうした行動には、もちろん日々の忙しさや気分の問題もあると思います。
しかし、その背景に「未来の自分との距離(時間割引)」があるのだとしたら、「将来のためにがんばろう」という気持ちが湧きにくいのは、ある意味で私たちの心理構造に沿った自然な反応だとも言えます。

「将来」や「老後」が他人事に感じられるのは、脳がまさに、未来の自分を「他人事」として処理しているからと言えそうです。

「今の自分が完成形」という錯覚──歴史の終わり幻想


脳が未来の自分を「知らない誰か」として扱いやすいという話に加えて、もうひとつ、「将来の自分」を見えにくくしている認知の仕組みがあります。それが「歴史の終わり幻想(End of History Illusion)」と呼ばれる現象です。

すべての年代で、未来の変化は過小評価されている

2013年、ハーバード大学の心理学者ダニエル・ギルバート(Daniel Gilbert)らは、科学誌「Science」にひとつの大規模な調査結果を発表しました。19,000人以上の18歳から68歳までの人々を対象に、自分のパーソナリティ、価値観、好みについて、「過去10年でどれくらい変わったか」と「今後10年でどれくらい変わると思うか」を尋ねたのです。

結果は一貫していました。どの年代の人も、「過去10年間ではかなり変わった」と報告する一方で、「今後10年間ではあまり変わらないだろう」と予測していました。

18歳の人も、30歳の人も、50歳の人も、パターンは同じでした。
「自分はここまで大きく変わってきた。でも、ここから先はもうそんなに変わらないだろう」と全員が感じていたのです。

ギルバートらはこの傾向を「歴史の終わり幻想」と名づけました。実際には10年後には大きく変わっているのに、今この瞬間には、その変化をうまく想像できず、「今の自分がほぼ完成形だ」と感じてしまうのです。ギルバートは世界的な講演イベント「TEDトーク」に登壇した際、この現象を「人間は、まだ途中なのに自分は完成したと思い込んでいる」と表現しています。

この錯覚が働いていると、「将来の自分」を具体的にイメージすることが難しくなります。将来の自分が今とほとんど変わらないのなら、わざわざ将来に備える必要性も感じにくくなります。「老後の自分」「10年後の自分」がぼんやりとしか見えないのは、脳が未来の変化そのものを過小評価しているからでもあります。

この錯覚の強さは、文化によっても異なっている

興味深いことに、この「歴史の終わり幻想」の強さには文化差があることもわかっています。
山形大学の大村一史教授らが行った日米比較の研究では、アメリカ人は日本人に比べて、この錯覚がより強く現れることが確認されました。

アメリカ人は「これが自分だ」という自己像(自己概念)がはっきりと明確な傾向があります。そのため、「過去から大きく成長して、今は最高で安定した状態にある。だから今後はもうそんなに変わらないだろう」と感じやすいようです。

一方で日本人は、周囲の環境や人間関係によって自分のあり方が柔軟に(あるいは曖昧に)変わりやすい傾向があります。「自分の芯」がガチッと固定されていない分、「10年後の自分も、環境次第でまた変わっているかもしれない」という可能性を、どこかで受け入れている部分があるようです。

ただし、これは「日本人にはこの錯覚がない」という話ではありません。程度の差はあれ、日本人にも「今の自分が完成形だ」と思い込んでしまう傾向は確認されています。

つまり、程度の差はあれ、「今の自分がだいたい最終形だ」と感じてしまうのは、文化を超えて人間に広く見られる認知のクセだということです。そしてそのクセがある限り、「将来の自分」はどうしても、ぼんやりとした輪郭のままとどまりやすいのです。

「大人」と「子ども」のあいだが、こんなに長い時代は初めてだった


ここまでは、脳と認知の仕組みから「未来の自分が遠い」感覚を見てきました。しかし、この「大人になりきれない」感覚には、もうひとつ別の角度からも説明ができます。それは、「大人になる」ということ自体が、かつてとは大きく意味を変えているという社会の話です。

アメリカの発達心理学者ジェフリー・アーネット(Jeffrey Jensen Arnett)は、2000年に心理学の主要誌「American Psychologist」に発表した論文の中で、18歳から29歳ごろまでの時期を「成人形成期(Emerging Adulthood)」と名づけ、青年期とも成人期とも異なる、独自の発達段階として位置づけました。

この概念が提唱された背景には、20世紀後半から続いてきた社会の大きな変化があります。結婚の平均年齢は上がり続け、高等教育への進学率も上がり、安定した職業に就くまでの道のりは長くなりました。かつては、学校を卒業して20代前半で就職し、結婚して子どもを持つという一連の流れが、「大人になること」を実感するための明確な通過点として多くの人に共有されていました。ところが現代では、雇用環境が変化して一つの職業に定着するまでの試行錯誤の期間が長期化し、結婚や出産といったライフイベントの時期も全体的に後ろにズレています。かつてのように「これをすれば大人」という共通の通過点が見えにくくなっているのです。

アーネットは、この成人形成期の心理的な特徴として五つの状態を挙げています。アイデンティティの探求、不安定さ、自分自身に意識が向かう時期、さまざまな可能性に開かれている感覚、そして「あいだにいる感覚(feeling in-between)」です。

この最後の「あいだにいる感覚」こそが、今回の話と深くつながっています。アーネットが実施した若者へのインタビューでは、「自分は大人だと思いますか?」という質問に対して、多くの人が「ある意味では大人だけれど、ある意味ではまだそうじゃない」と答えています。完全に子どもでもないし、完全に大人でもない。そのあいだの、どちらともつかない場所にいるという感覚です。

注意しておきたいのは、この感覚は「甘えている」とか「覚悟が足りない」といった話ではないということです。社会の構造そのものが、大人への移行をゆるやかで長いプロセスに変えてきた結果、発生している感覚です。ひと昔前なら、20代前半で「大人としての自分」を否応なく実感するきっかけが次々と訪れていました。ですが、今の時代には、そのきっかけが来るのが遅くなったり、あるいは来ないまま年齢だけが進んでいくことが珍しくありません。

なお、アーネットの理論は主に18歳から29歳を対象としたものですが、近年の研究では、この「あいだにいる感覚」が30代以降にも持続する可能性が指摘されています(Mehta et al., 2020)。結婚や出産といった通過点がさらに後ろにずれている現代では、「大人になった」という実感が訪れないまま30代、40代を迎える人も増えているのかもしれません。

「大人になったはずなのに、大人になれていない気がする」という感覚は、個人の問題というよりも、この時代に生きている多くの人が通り得る場所なのだと思います。

三つの仕組みが重なるとき──「将来」が遠ざかり続ける構造


ここまで見てきた三つの話を、少し並べてみます。

脳は、未来の自分を「他人」のように処理してしまう傾向があります。そして、「今の自分がほぼ完成形だ」と錯覚させます。また、社会の構造は、「大人になった」と実感できるきっかけを後ろへ押しやっています。

これらは別々のテーマとして研究されてきたものですが、一人の人間の中では同時に作用しています。そして三つが重なったとき、「将来」や「老後」、「いつか」といった未来に託す言葉は、実感を伴わないまま、ずっと遠い場所に浮かび続けることになります。

脳が未来の自分を他人のように扱っている限り、「老後の自分のために今から備えよう」という気持ちには実感が伴いにくくなります。「今の自分が完成形だ」と感じている限り、10年後に自分がどう変わっているかを具体的に思い描くのは難しくなります。そして、大人としての実感がぼんやりとしたままであれば、「将来の自分」を「今の自分の延長にいる人物」として捉えることも、ますます難しくなっていきます。

こうして、「老後」も「将来」も「いつか」も「大人としての自分」も、いつまでも感触のないまま、どこか遠くに置かれ続けます。

そしてその状態のまま、気がつけば5年が過ぎ、10年が過ぎていきます。
それは、「行動しなかった自分が悪い」と片づけられるほど単純な話ではなく、脳の認知と社会が「将来」を遠ざけ続ける構造の中に自分がいた、という見方もできるのです。

意志が弱いわけでもなく、考えが甘いわけでもありません。
仕組みが、ただ、そうなっていたということなのです。

「将来」は、今この瞬間のことなんだと思う


ここまで読んでいただいて、「なるほど、自分の脳がそういう仕組みになっていたのか」と感じた方もいるかもしれません。あるいは、「仕組みはわかったけど、じゃあどうすればいいの」と思った方もいるかもしれません。

正直に言えば、この仕組みを知ったからといって、明日から急に「老後」や「将来」が自分事として感じられるようになるわけではありません。脳が未来の自分を他人のように扱う傾向は、知識ひとつで書き換えられるものではありませんし、「今の自分が完成形だ」という錯覚も、意識しただけでは簡単に手放せません。

それでも、知っていることと知らないことのあいだには、やはり大きな違いがあるように思います。

「将来のことがどうにも自分事に感じられない」と気づいたとき。
「もういい歳なのに、まだ大人になれていない気がする」とふと思ったとき。
もしそこに、今回見てきた仕組みの存在が頭の片隅にあれば、「自分はおかしいのだろうか」「自分は甘えているのだろうか」という方向に、そのまま飲み込まれずに済むかもしれません。


そしてもうひとつ、この記事を通じて考えてみたいことがあります。

私たちが「将来」や「老後」、そして「いつか」と呼んでいるものは、未来のどこか遠い地点に、ある日突然ポツンと現れるわけではないということです。

今日の夕食、明日の準備、今週末の予定。
そうした日々のささやかな日常の延長線上に、「未来の自分」が待っています。

ハーシュフィールドの研究チームは、「未来の自分」をより身近に感じるきっかけが与えられると、将来のための行動が変わりうることも報告しています。たとえば、エイジングシミュレーション技術を使って自分の老後の顔を見た被験者は、それを見なかった被験者に比べて、貯蓄に回す金額が増えたという実験結果があります。これは、脳が「他人」として処理していた未来の自分を、少しだけ「自分自身」として認識し直すきっかけが生まれた、ということだと考えられています。

ただ、未来の自分を身近に感じるために、エイジングシミュレーション技術のような大げさな仕掛けは必要ないのだと思います。
10年後の姿を具体的に想像することは難しくても、「今の自分はまだ完成形ではなく、途中にいるんだ」と知っておくだけでいいのかもしれませんし、「完璧に大人になった自分」なんてどこにもいないんだと、肩の力を抜いてみるだけでもいいのかもしれません。

そうした小さな視点の切り替えが、「将来」を少しずつ自分のほうに引き寄せてくれるはずです。

大人になったはずなのに、大人になれていない気がする——。
その感覚は、脳が持つ「認知のクセ」と、この時代の社会構造が重なり合った結果でした。

完璧に大人になる日は、きっと来ません。
だからこそ、「自分はまだ、変わっていく途中にいる」。そうやって今この瞬間の心の持ち方を変えることこそが、感触のなかった未来を、自分自身の人生として歩き始めるきっかけになるのだと思います。

\ 一言感想をいただけると励みになります/

  • URLをコピーしました!
目次