「足るを知る」は精神論ではない──「足りない」が判断力を奪うという研究

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「お金持ちになりたければ、まず足るを知ることだ。」
「感謝の気持ちを持てば豊かになれる。」
こうした言葉を、一度はどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。

聞こえはいいのですが、実際に経済的な不安や余裕のなさを抱えているときに言われると、どこか心の隅に引っかかるものがあります。今まさに足りていない状況にある人に向かって「足りていることに気付け」と諭すのは、励ましというより、責任を本人に押し付けているようにすら感じられることもあります。

ただ、この「足るを知れば豊かになる」という古くから伝わる言葉には、精神論や根性論ではないかたちでの裏付けがあることが、近年の認知科学の研究からわかってきています。

そこで、今回はそのメカニズムを見ていきたいと思います。

目次

「足るを知れば豊かになる」という言葉に感じる、もやもや


「知足者富」という言葉は、紀元前の中国の思想家・老子の『道徳経』に出てくる一節です。直訳すれば「足るを知る者は富む」となります。

この言葉自体は、おそらく多くの方にとって、どこかで耳にしたことがあるものではないかと思います。自己啓発本、ビジネス書、各種のスピーチ、SNSの引用に至るまで、現代でも様々な場面で繰り返し使われています。

しかし、この言葉が一人歩きしているとき、本来の意味からはどうしてもかけ離れていきがちです。
「いま手元にあるもので満足できれば心が豊かになる」というメッセージとして使われることが多いものの、それは半分は正しく、半分は語り切れていないところがあります。なぜなら、「いまあるもので満足できる」感覚そのものが、自分の意志ではなかなかコントロールできないからです。

家賃の引き落とし日が近づいて、口座残高が心もとないとき。
子どもの教育費の見通しが立たないとき。
仕事が安定せず、来月の収入がわからないとき。

こうした状況で「足るを知れば豊かになれる」と言われても、心はそう簡単には動きません。むしろ、なぜ自分はそう感じられないのだろうかと、新たな自己嫌悪が積もるだけかもしれません。

それでも、この古い言葉が現代まで生き残っているのには、おそらく何か理由があるのだろうと思います。そして実際、その理由を裏付ける研究が、ここ十数年で次々と発表されています。

「足りない」感覚が、判断力そのものを奪っていた


「足るを知る」が単なる精神論ではないと言える根拠の一つに、ハーバード大学の経済学者センディル・ムッライナタンとプリンストン大学の心理学者エルダー・シャフィールらが2013年に発表した研究があります。この研究は科学雑誌『Science』に掲載され、その後彼らは『Scarcity: Why Having Too Little Means So Much』(邦題『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』)という書籍にもまとめています。
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彼らが明らかにしたのは、「足りない」と感じている状態そのものが、人間の認知能力に直接的なダメージを与えるという事実でした。気の持ちようの問題ではなく、脳の処理能力が実際に低下するということです。

ショッピングモールでの実験が示したこと

ムッライナタンらは、ニュージャージー州のショッピングモールで買い物客を対象にした実験を行いました。被験者には、車が故障して修理が必要になったという仮定のシナリオを読んでもらいます。

ここで重要なのが修理費の設定です。安いシナリオでは150ドル、高いシナリオでは1,500ドルの修理費が必要だとされました。シナリオを読んだあと、被験者にはレーヴン漸進的(ぜんしんてき)マトリックス検査という、知能テストでよく使われる課題と、認知制御能力を測る課題に取り組んでもらいます。

結果は明確でした。
修理費が安いシナリオ(150ドル)では、収入の高い人と低い人の成績にほとんど差はありませんでした。ところが修理費が高いシナリオ(1,500ドル)では、収入の低い人の成績だけが大きく落ち込んだのです。

つまり、お金の心配を頭に抱えた瞬間に、それだけで認知能力が下がってしまうということです。課題を受けたのは、いつもなら問題なく解けるはずの人たちです。それでも、お金の不安が頭に居座っているあいだは、本来の力を発揮できなくなっていました。

インドの農家を追った研究

ムッライナタンらは、もう一つ説得力のある研究を行っています。インド・タミル・ナードゥ州のサトウキビ農家を対象にしたものです。

サトウキビ農家の特徴は、収入の入り方が季節に大きく偏っていることです。収穫の前は手元が乏しく、収穫が終わると年間収入の大半が一気に入ってきます。同じ農家が、季節によって「足りない人」になったり「足りている人」になったりするわけです。

研究チームは、同じ農家に、収穫前と収穫後の二回、認知能力を測るテストを受けてもらいました。すると、収穫後(お金が手元にある状態)のほうが、収穫前(お金が乏しい状態)よりも明らかに高い成績が出たのです。同一人物であっても、経済的に逼迫(ひっぱく)しているかどうかで、認知能力が変わるということになります。

そして、その差はどれくらいかというと、知能指数換算で約13ポイントに相当する規模でした。これは一晩徹夜したあとの認知能力の低下と同程度の大きさになります。同じ人が、お金の余裕のあるなしによって、徹夜明けに匹敵するほどの差を見せていたわけです。

認知的帯域幅という考え方

ムッライナタンとシャフィールは、この現象を説明するために「認知的帯域幅(cognitive bandwidth)」という言葉を使いました。

人間の脳が一度に処理できる情報量には限りがあります。インターネット回線の帯域幅と同じで、一定の容量を超えれば動作が遅くなったり、エラーが起きたりします。将来の不安や支払い、急な出費への備えなど。こうした「足りない」に関する心配は、本人が意識していなくても、常に背景でバンド幅を食い続けます。

その結果、目の前の課題に振り向けられるリソースが減ってしまいます。仕事のミスが増えたり、勉強が頭に入ってこなかったり、判断を間違えたりするのは、本人の能力や努力の問題というより、脳の認知や処理のスペースが他のことで埋まっているからです。

ここで重要なのは、この現象はお金そのものの問題に限らないということです。
時間が足りないと感じているとき、人間関係に余裕がないとき、健康状態に不安があるとき。何かしらの「足りない」が頭にこびりついている状態であれば、同じ仕組みでバンド幅は食われていきます。

なぜ「足りない」は、こんなにも視野を狭めるのか


ここまでで、「足りない」感覚が脳の処理能力を実際に低下させることを見てきました。ここからはもう少し踏み込んで、なぜそうなるのかという仕組みのほうを覗いてみたいと思います。

トンネリングという現象

ムッライナタンらが提案した、もう一つ重要な概念に「トンネリング(tunneling)」があります。これは、目の前の差し迫った問題に意識が集中するあまり、それ以外のものが視界から消えてしまう現象のことです。

トンネルの中を歩いているときに、両側の景色が見えないのと同じです。今まさに対処すべき緊急のことしか見えず、その先にある中長期的な選択肢や、自分にとって本当に大切なことが、視界の外に追いやられてしまいます。

例えば、目先のお金が足りない人ほど、長期的には損になる高金利のローンに手を出してしまうことが知られています。これは「合理的でない選択をする愚かさ」ではなく、トンネルの中にいて、ローンの長期的なコストを冷静に検討する余裕がないということです。視野を広げる余裕そのものが、足りなさによって奪われていることによります。

仕事の場面でも似たことが起きます。締め切りに追われている人ほど、本当は別の方法で解決できる仕事を、力ずくの方法で押し進めてしまうことがあります。立ち止まって考える時間が、もったいなく感じられるからです。実際にはその数分の検討が大きな時間を節約できたかもしれないのに、トンネルの中ではその発想自体が浮かんできません。

目の前のことしか見えないという仕組み

このトンネリングが厄介なのは、本人にはその自覚がないことです。トンネルに入っている人は、自分が視野狭窄に陥っているとはなかなか気付きません。本人にとってはむしろ「いま最も重要なことに集中している」という感覚すらあります。

工場で働いていた頃、私自身もこのトンネリングを何度か経験しました。納期や品質トラブルなど、目の前のことが詰まっているときほど、立ち止まって全体を見直す発想が全くと言って良いほどに浮かびませんでした。あとから振り返れば、そこで一度引いて考えれば防げたミスもあります。
当時はそれを自分の力量の問題だと思っていましたが、いまになってみれば、能力の高い低いではなく、頭の処理スペースが目の前のことで埋まり切っていたかどうかの話だったのだと思います。

「足りない」と感じる対象は人それぞれ違っても、トンネルに入る仕組み自体は同じです。お金、時間(期限)、人間関係、自信、健康。何かが極端に足りないと感じた瞬間に、それ以外のことが視界から抜け落ちていきます。
そして、その状態で行われる判断は、どうしてもその場しのぎの色合いを帯びていきます。

「足るを知る」という、脳の防衛戦略


ここまでの研究を踏まえると、「足るを知れば豊かになる」という古くから伝わる言葉が指していたものも、まったく違った景色として見えてきます。これは、感謝の気持ちを持ちましょうといった道徳訓ではなく、脳の処理能力を最大化するための、極めて実利的な「データマネジメント」の話だったのかもしれません。

ムッライナタンらの研究が示しているのは、足りなさが認知能力を奪うという一方向の話だけではありません。判断のリソースが削られた状態で下した選択は、その後の生活でさらに足りなさを生みやすくなります。
目先のお金が足りない人ほど高金利のローンに手を出してしまうという例も、足りなさが招いた判断の鈍化が、次のステージの足りなさを準備してしまうという、負の循環の一場面です。

足りないから判断が鈍る、判断が鈍るからさらに足りなくなる——。

このループに一度乗ってしまうと、個人の努力や性格に関係なく、脳のシステムそのものが破綻へ向かって突き進んでしまいます。

そう考えると、「足るを知る」という言葉を現代において定義し直すなら、それは「現状に満足して我慢しろ」という引き算のメッセージではなく、むしろ、「これ以上『足りない情報』を脳に入力して、認知的帯域幅をクラッシュさせるな」という、強力な自己防衛策と言えるのかもしれません。

つまるところ、老子が言った「知足者富(足るを知る者は富む)」とは、心が豊かな人間が最後に勝つという精神論ではなく、「上を見ればキリがない不足感のループに脳のメモリを割くのをやめ、手元のリソースだけで最適な判断を下せる状態を作れる者こそが、結果として富を手にする」という、パフォーマンス最適化の戦略だったのだと考えることもできます。

意識の焦点をコントロールする


では、現にいま、お金や時間の不安で頭のメモリが埋まり、トンネルの中にいる状態の人間が、どうやってこの負のループを断ち切ればいいのでしょうか。
人間の脳の仕様上、意志の力だけで無理やり断ち切ることは不可能ですし、恐らく、そもそも「いまトンネルの中にいる」という自覚を持つことさえ、その渦中にいるときには極めて困難です。

しかし、意志の力で直接コントロールすることはできなくても、認知科学の知見を借りて「意識の焦点をほんの少しだけズラしてみる(アテンションの制御)」というアプローチは、強力なヒントになるのではないかと思います。

具体的には、足りないものから一瞬だけ目を離して、いま目の前にある「すでにあるもの」に意識を向けてみる、ということです。ここで言うアテンションの制御とは、頭のなかで「別のことを考えよう」と無理に思い直すことではありません。そうではなく、「手元にある温かい飲み物に視線を落とす」「いま握っているペンの感触に指先を向ける」といったように、動作によって『意識の向き先』を物理的に動かす、ということです。

「足りない」という情報で頭がいっぱいになっているとき、そこに別の情報が一つ入り込むだけで、占有されていたスペースに少しだけ隙間ができます。次の一手を冷静に考えるための「余白」が戻ってくる、と言ってもいいかもしれません。
こうした「意識の向く先を物理的に動かす」というやり方は、決して目新しいものではなく、不安や思考のループから距離を取るための工夫として、古くから様々なかたちで知られてきたものでもあります。

この、自分の頭の仕組みをほんの少し借りてみるような感覚こそが、私たちがトンネルの中から抜け出すための、最も無理のない、確実な足がかりになるのではないでしょうか。

「足る」は、すでにそこにある


この記事では、「足るを知る」という言葉を、少し遠回りして見てきました。

「知足者富(足るを知る者は富む)」という言葉が長く伝わってきたのは、おそらく単なる道徳訓だからではなくて、足りない感覚に飲み込まれることが私たちの判断力をどれほど奪うかを、昔の人もどこかで感じ取っていたからなのかもしれません。脳科学という言葉が存在しなかった時代の人々が、自分たちの観察と経験から導き出した知恵が、現代の研究によってあらためて裏付けられているということなのだと思います。

そして、今回見てきた話は、足りないと感じている自分を責めるためのものではありません。むしろ、足りないと感じてしまうことは、脳の構造から考えればごく自然なことで、そこから距離を置くのが難しいのも当然のことです。意志の弱さの問題ではないと知っておくだけでも、少し肩の力が抜けるところがあるのではないでしょうか。

そのうえで、もし時間があったら、ふと足元に目を向けてみる瞬間を作ってみてもいいのかもしれません。

特別なことを探す必要はないと思います。今日も無事に一日を終えられたこと、温かい飲み物を飲めること、知らない誰かが書いた文章をこうして読めること。視線を上げて誰かと比べていた時間を、ほんの少しだけ、自分の手のひらに戻してみる。そのとき、これまで見えていなかったものが、すでにそこにあったことに気付くことがあるかもしれません。

豊かさは、どこか遠くに走って探しに行くものではなく、足元の青さに気付き直すところから、もう一度始まっていくものなのかもしれません。

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