“気をつければ防げた”は本当か──ヒューマンエラーとマインドフルネスの意外な関係

  • URLをコピーしました!

「なぜあんな簡単なミスをするんだろう」──他者に対してそう思ったことはありませんか?
あるいは、「気をつけていたのに、またやってしまった」と、自分自身に呆れた経験はないでしょうか。

職場でミスや事故が起きると、私たちはほぼ反射的に「誰が悪かったのか」「なぜ気をつけなかったのか」という方向に思考が向かいます。これは日本の職場に限った話ではなく、あらゆる組織に共通して見られる傾向です。

私はかつて医薬品・化粧品の工場で、品質管理や品質保証の業務に携わっていました。厳格なGMP(医薬品製造管理および品質管理基準)のもとで、手順書の整備、逸脱の調査、再発防止策の立案を繰り返す日々の中で、一つの事実に何度も直面しました。

「ルールを守っていても、エラーは起きる」という事実です。

マインドフルネスとヒューマンエラーは、一見すると無関係に思えます。しかし、両者を結びつける研究と実践の蓄積が、この10年ほどで確実に積み上がってきています。「気をつければ防げた」という言葉の背後にある認知の仕組みを知ると、マインドフルネスが「個人の癒し」ではなく「注意力のメンテナンス」として機能する理由が見えてきます。

目次

「気をつければよかった」が的外れな理由


ヒューマンエラーが起きると、多くの職場では「当事者がもっと注意していれば」という結論に落ち着きます。しかし、ヒューマンエラーの研究が示すのは、この見方がいかに事実とずれているかということです。

ヒューマンエラーを研究した英国の心理学者ジェームズ・リーズン(James Reason)は、著書 Human Error(1990年)の中で、エラーを「個人の失敗」として捉えることの危険性を指摘しました。彼が提唱したのは、組織の中に複数の防御層があり、それぞれに穴(脆弱性)が存在するという「スイスチーズモデル」です。この概念は現在、航空・医療・製造など多くの産業における安全管理の基礎として広く参照されています。

エラーを「個人の責任」にすると何が起きるか

エラーの原因を「あの人が不注意だったから」と個人に帰結させると、表面的な問題は片付いたように見えます。しかし実際には、同じ環境・同じ条件が維持されている限り、次の誰かが同じエラーを起こします。リーズンはこれを、「人を替えても仕組みが変わらなければエラーは繰り返される」という形で表現しています。

たとえば、医薬品や化粧品の製造現場でも、この構造は日常的に観察されました。手順通りに作業が行われなかった、あるいは、想定されている結果が出なかったなど、決められたことから外れることを、これらの業界では「逸脱」というのですが、その逸脱が発生したとき、「作業者の確認不足」で調査を終わらせると、同種の逸脱が数ヶ月後に再発します。
それは作業者の能力の問題ではなく、エラーを誘発しやすい環境・手順・認知負荷の問題であることがほとんどでした。「気をつけなかった人が悪い」という結論は、再発防止という観点からは何も解決しません。私の経験から申し上げると、品質管理と安全管理はほぼ同じ原理と言えます。

スイスチーズモデルが教えること

スイスチーズモデルでは、組織の安全はチーズのスライスを複数枚重ねることで守られています。一枚のチーズにある穴(設備の欠陥、手順の曖昧さ、疲労による判断の誤りなど)は、他のスライスが補います。しかし、すべてのスライスの穴が一直線に並んだとき、事故が起きます。

このモデルが示す重要なことは、ヒューマンエラーは「最後の一枚」であることが多いという点です。設備・手順・環境といった複数の防御が機能していれば、人間が一時的に注意を欠いても事故には至りません。
そこから言えることは、「人間だけに最後の砦を求める」設計は、本質的に脆弱であるということです。しかし、脆弱ではあるものの、どうしても最後の砦を人間が行わなければならない状況は否応なしに存在します。

その脆弱性を緩和すること、すなわち「最後の砦としての人間」の状態を整えることに、マインドフルネスは関係してきます。仕組みを作ったとて、運用するのは人間です。その人間の状態がエラーに影響することは、現代の技術ではまだまだ避けては通れません。

注意力には限界がある──脳の仕組みから


「気をつける」という行為は、意識的な努力を要するものです。人間の脳は、注意を向けることができる容量に限りがあります。

行動経済学者のダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)は、著書 Thinking, Fast and Slow(邦題「ファスト&スロー」2011年)の中で、人間の思考を「システム1」と「システム2」に分類しました。システム1は自動的・直感的な処理でスピードが速い反面エラーが起きやすく、システム2は分析的・意識的な処理で正確ですが認知資源を大量に消費します。

日常的な業務の多くはシステム1に依存しています。慣れた作業ほど「考えずにこなせる」ようになりますが、それはシステム1が主導しているということでもあります。そして、システム1はストレスや疲労によって精度が大きく下がります。

人間の脳はマルチタスクが苦手

「同時に複数のことをこなせる人」は優秀に見えますが、脳科学的には「マルチタスク」は存在しないとされています。私たちがマルチタスクと呼んでいるものは、実際には複数の課題を素早く切り替えているタスクスイッチングです。

スタンフォード大学のクリフォード・ナス(Clifford Nass)らが2009年にPNAS(米国科学アカデミー紀要)に発表した研究では、頻繁にマルチタスクを行う人は、一つのことに集中する人に比べて、注意の切り替えや無関係な情報の排除が苦手であることが示されました。つまり、「いつも複数のことをこなしている人」ほど、注意の質が低下しやすい状態にある可能性があるということです。これは直感に反する結果として、当時大きな注目を集めました。

「心がさまよう」状態と見落としのリスク

ハーバード大学のマシュー・キリングスワース(Matthew Killingsworth)とダニエル・ギルバート(Daniel Gilbert)が2010年にScience誌に発表した研究は、人々が起きている時間の約47%を「心がさまよっている(mind-wandering)」状態で過ごしているという事実を明らかにしました。

職場の文脈でこれを考えると、作業中に心が別のところにある時間が半分近くあるということは、その間の確認や判断の質が低下しているということを意味します。作業者が「確認した」と認識していても、そのとき意識が別の課題に向いていれば、確認は形だけのものになります。書類のダブルチェックや機器の点検作業で、「見たはずなのに見えていなかった」という経験をお持ちの方は少なくないはずです。

それはその人が不注意なのではなく、人間の注意力が構造的に持つ限界の表れです。

マインドフルネスが注意力を変える、という研究


マインドフルネスが注意力に影響を与えることは、複数の研究によって確認されています。「心を落ち着かせるための瞑想」というイメージが強いマインドフルネスですが、研究が示すのは、脳の機能的・構造的な変化を伴うという点です。ここでは異なる角度からの三つの知見を順に見ていきます。

前頭前野と注意制御──ラザー研究が示した構造的変化

ハーバード大学付属マサチューセッツ総合病院の神経科学者サラ・ラザー(Sara Lazar)博士らが2005年にNeuroReport誌に発表した研究では、長期にわたってマインドフルネス瞑想を実践した人の脳を実践していない人と比較したとき、前頭前野の皮質の厚さに有意な差が見られることが示されました。前頭前野は注意制御・意思決定・衝動の抑制に関与する脳領域です。この研究は、瞑想が脳に物理的な変化をもたらす可能性を示した先駆的な研究として、神経科学の分野で広く引用されています。

ただし、この研究は長期実践者と非実践者の「断面比較」であり、瞑想を始めたことによって前頭前野が厚くなったことを直接証明するものではありません。相関を示した研究として理解しておくことが正確です。

コルチゾールと判断ミス──別の角度からの知見

注意制御への影響を考えるうえで、ストレスホルモンであるコルチゾールとの関係も一つの視点として挙げられます。コルチゾールは急性ストレス時に分泌されるホルモンで、短期的には身体を覚醒させる適応的な働きをしますが、慢性的に高い状態が続くと前頭前野の機能を抑制し、扁桃体(感情・恐怖反応に関与する脳部位)の過活動を引き起こすことが知られています。

これが「ストレスが高い状態では判断ミスが増えやすい」という現象の一因とされています。

一方、マインドフルネスプログラムがコルチゾールの分泌量を低下させることは複数の研究で報告されています(Carlson et al., 2004など)。ただし、「コルチゾールが下がる→前頭前野の機能が維持される→注意制御が安定する」という連鎖を一本の因果関係として描くことは、現時点の研究蓄積では根拠として十分ではありません。「マインドフルネスがこの経路に影響している可能性がある」という示唆として理解するのが、研究の実態に即した読み方です。

職場環境を対象にした検証

ワシントン大学のデイビッド・レヴィ(David Levy)博士らが2012年に発表した研究では、人事部門の管理職を対象に、8週間のマインドフルネストレーニングを行ったグループとそうでないグループを比較しました。その結果、マインドフルネストレーニングを受けたグループは、マルチタスク環境下での集中の持続と気分の安定において、トレーニングを受けなかったグループよりも良好な結果を示しました。

また、Googleがエンジニアのチャディー・メン・タン(Chade-Meng Tan)の主導で2007年頃から導入した「Search Inside Yourself(SIY)」プログラムは、マインドフルネスと感情知性(EI)を職場に組み込んだ代表的な事例です。このプログラムは2012年に書籍としても刊行され、現在は独立した非営利組織「Search Inside Yourself Leadership Institute」によって世界各地の企業に提供されています。Googleという組織がこのプログラムを正式に採用し、継続していること自体が、職場でのマインドフルネスの有効性を示す一つの指標と言えるでしょう。

現場で見えた、「仕組み」と「個人の状態」の両輪


スイスチーズモデルが示すように、エラーを防ぐには仕組みの整備が不可欠です。しかし、仕組みを整えるだけでは十分でないことも、現場経験を持つ方なら実感していることではないでしょうか。

医薬品製造の現場では、手順書の整備、ダブルチェックの導入、作業環境の改善といった仕組みの積み重ねが安全と品質を支えます。しかしそれらすべてが整っていても、作業者の認知状態が著しく低下していれば、確認は機能しません。疲労が蓄積した状態でダブルチェックを行っても、二人の目がどちらも同じ思い込みを持っていれば、確認は名ばかりとなりエラーが素通りします。これは「確認した人間が悪い」のではなく、「確認という行為が機能しにくい認知状態だった」ということです。

仕組みは防御層を厚くします。しかし防御層の「質」は、それを運用する人間の認知状態に左右されます。マインドフルネスは、この「防御層の質」に働きかけるものです。精神論でも根性論でもなく、前頭前野の機能を維持し、マインドワンダリング(心の迷走)を減らし、今この瞬間の作業に意識を向け直す能力を育てる──言わば、認知状態の定期的なメンテナンスです。

「仕組みを整えること」と「個人の認知状態を整えること」は、どちらかを選ぶものではありません。両方を重ねることではじめて、スイスチーズの穴は少なくなります。

今日から職場で試せること


マインドフルネスと聞くと、専用のクッションに座って長時間目を閉じる、というイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし職場でのマインドフルネスは、そこまで大がかりなものでなくても十分に機能します。研究が示すのは、短時間でも継続的に行うことで注意制御の質が変わるということです。

詳しい瞑想の実践方法については以下の記事で解説しています。ここでは、職場文脈に絞った実践を紹介します。

作業や会議の前に──5分間の呼吸観察

作業を始める前、または会議室に入る前の5分間、椅子に座ったまま目を閉じ、呼吸だけに意識を向けます。吸う息と吐く息の感覚を、ただ観察します。うまくやろうとする必要はありません。

この実践の目的は、直前まで抱えていた別の課題や感情を一旦置いておき、これから行う作業にのみ意識を向けるための切り替えです。タスクスイッチングによって散漫になった注意を、一点に絞り直す準備をする時間と考えてください。レヴィ博士らの研究でも、こうした短時間の実践の継続が、マルチタスク環境下での集中の持続と関連することが示されています。

「確認」の前に一呼吸置く習慣

ダブルチェックや書類の最終確認など、「確認」という行為の直前に、意図的に一呼吸置く習慣をつけることです。「今から確認を行う」という意識を、呼吸によって明示的に切り替えます。

確認作業が形骸化する最大の原因の一つは、「作業しながら別のことを考えている」状態です。呼吸を一つのアンカーとして使うことで、その瞬間に意識を戻すことができます。これはマインドフルネスの核心である「気づいて戻る」という動作の、最もシンプルな応用です。

医薬品製造の現場では「指差呼称(指さし確認)」が広く用いられています。声と動作によってその瞬間に意識を対象に戻す、という点において、マインドフルネスの呼吸観察と構造的に共通しています。外側に向けた動作か、内側に向けた注意かという違いはありますが、「今ここに意識を固定する」という機能は同じです。

自分の認知状態に気づく習慣をつける

マインドフルネスの実践を通じて副次的に得られることの一つが、自分の認知状態への気づきです。
「今、集中できていない」「頭がうまく働いていない」という状態を自覚できるようになると、「この状態で重要な判断をするのは適切でないかもしれない」という判断がしやすくなります。

これは諦めや逃げではなく、エラーリスクを意識した合理的な判断です。疲弊した状態での確認作業は、確認そのものの信頼性を下げます。「今はやらない」「少し間を置く」という選択ができることもまた、安全文化の一形態です。品質管理の観点から言えば、作業の「止め方を知っている」ことは、「続け方を知っている」ことと同じくらい重要な能力です。

おわりに

「気をつければ防げた」という言葉は、表面的には正しそうに見えます。しかし、注意力は意志だけでコントロールできるものではなく、脳の状態・認知負荷・ストレスレベルに大きく左右されます。ヒューマンエラーの研究が繰り返し示しているのは、エラーを個人の不注意に帰結させることの限界であり、仕組みと認知状態の両面を整えることの重要性です。

マインドフルネスは、その認知状態を整える手段として、神経科学的な裏づけを積み上げてきています。リラクゼーションのためではなく、注意制御の精度を維持するための日常的なメンテナンスとして捉えたとき、その意味は職場という環境でより鮮明になります。

「気をつける」という言葉が職場で使われるとき、それが「もっと頑張れ」という意味に終始するのか、「注意を向け直す状態を整えよう」という方向に向かうのかで、職場の安全文化は変わります。

マインドフルネスが示すのは、後者への、具体的な一手です。

\ 一言感想をいただけると励みになります/

  • URLをコピーしました!
目次