職場のモヤモヤを“構造”で見直す視点|人を消耗させる二つの構造を探る

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衛生管理者として職場のメンタルヘルス業務に関わっていた時期、仕事を続けることが難しくなった方々の話を聞く機会が何度もありました。休職の手前で踏みとどまっている人、言葉にできない疲れを抱えながら毎朝出勤し続けている人。状況はさまざまでしたが、話の中によく似た言葉が出てきました。

「なんかやりがいがなくて」
「頑張っているのに、なぜかうまくいかないんです」
「悪い職場じゃないんですけど、なんかモヤモヤして」

誰も「私が弱いせいです」とは言いませんでしたが、言葉の裏にそう感じていることが透けて見えることが多かったです。そしてその感覚は、聞いている私にも重くのしかかっていました。

後から産業・組織心理学を改めて学んだとき、あの言葉たちにようやく輪郭が生まれました。
消耗するのには構造的な理由があって、やりがいのなさにも設計的な理由がありました。しかも、その二つはまったく別の話だったのです。

この記事では、職場のモヤモヤをつくり出す二つの構造を、心理学の視点から順に見ていきます。どちらも「個人の性格や根性の問題ではない」という話です。

目次

「なぜか消耗する」には、構造的な理由がある


仕事量が多くて疲れた、という経験は誰にでもあります。ただ、職場での消耗が「仕事量が多い」だけでは説明できないケースは少なくありません。むしろ、量とは別の何かが、人をじわじわと消耗させていることがあります。

その「何か」を構造的に説明したのが、アメリカの社会学者・産業工学者のロバート・カラセク(Robert Karasek)です。1979年に発表した「職務要求-コントロールモデル(Job Demands-Control Model)」は、職場ストレスの研究に大きな影響を与えたモデルで、今も産業・組織心理学の分野で広く参照されています。

仕事の「要求」と「コントロール」が交わる場所

カラセクのモデルは、仕事を二つの軸で捉えます。

一つ目は「職務要求度(Job Demands)」です。
仕事の量・スピード・難易度など、仕事が心理的にどれだけの負荷を求めてくるかという軸です。

二つ目は「職務コントロール(Job Control)」です。
どんな方法で仕事を進めるか、どの順番でタスクをこなすか、いつ休憩をとるかなど、仕事のやり方を自分で決められる余地がどれだけあるかという軸です。

この二軸を組み合わせると、職場は四つの状態に分けられます。その中でカラセクが最もストレスが高いと指摘したのが、「要求度が高く、コントロールが低い」状態です。やることは多くてスピードも求められるのに、やり方を自分で決める余地がほとんどない。この状態を、カラセクは「高緊張状態(High Strain)」と呼びました。

逆に、「要求度が高く、コントロールも高い」状態は「能動的(Active)」な仕事と位置づけられ、むしろ学習や成長につながりやすいとされています。つまり、しんどさの根本にあるのは「忙しさ」そのものではなく、「忙しいのに、自分で動けない」という組み合わせにある、ということです。

このモデルは、産業・組織心理学の研究の中だけで生きている理論ではありません。日本では2015年に労働安全衛生法が改正され、従業員50人以上の事業場にストレスチェック制度が義務化されました。
厚生労働省が推奨する「職業性ストレス簡易調査票」では、仕事の量的な負担(要求度)とコントロール度が評価軸の一つとして採用されており、カラセクのJD-Cモデルがその理論的な土台になっています。

職場で毎年受けているあのストレスチェック、その設計の根っこにカラセクの視点が生きていたのです。

高負荷×低裁量の状態で、人の心と身体に何が起きるか

カラセクのモデルは、高緊張状態が心身に及ぼす影響についても多くの研究を生み出してきました。慢性的なストレスホルモンの上昇、睡眠の質の低下、燃え尽きへのリスクの高まり。これらは、仕事の量だけが多い場合よりも、「量が多いのに自分で決められない」状態の方が顕著に現れやすいとされています。

この状態が長く続くと、仕事に向かうこと自体がしんどくなります。「またあの場所に行かなければならない」という感覚が日曜の夜から始まる人もいれば、月曜の朝に体が重くなる人もいます。それは意志の弱さではなく、蓄積された高緊張状態への、心と身体の正直な反応です。

職場でのモヤモヤを「自分のせい」として処理してしまう前に、自分がどのような状態に置かれているかを一度立ち止まって見てみることが、何かを変える最初の一歩になるかもしれません。

「やりがいのなさ」は、仕事の設計の問題だった


消耗の構造とは別に、もう一つ職場で多くの人を苦しめているものがあります。それが「やりがいのなさ」です。

ここで重要なのは、消耗とやりがいのなさは、同じように見えて実は別々の問題だということです。「楽な仕事なのにやりがいがない」という状態も、「忙しくて疲れているのにやりがいはある」という状態も、実際に存在します。

消耗しているかどうかと、やりがいがあるかどうかは、別の軸で動いているのです。

この「別の軸」を最初に体系化したのが、アメリカの心理学者フレデリック・ハーズバーグ(Frederick Herzberg)です。1959年に発表した「動機づけ-衛生理論(Motivation-Hygiene Theory)」は、やりがいと不満のメカニズムを、それまでとはまったく異なる視点で捉えた理論です。

不満をなくすことと、やる気を生むことは別の話

ハーズバーグの理論は、職場における「満足」と「不満」が、単純に対になっているわけではないという発見から始まります。

ハーズバーグは、職場における感情をもたらす要因を二種類に分けました。

一つ目は「衛生要因(Hygiene Factors)」です。
給与水準・職場環境・会社の方針・上司との関係・福利厚生など、職場の「環境」に関わるものです。これらが整っていないと不満が生まれますが、整えたからといって「やりがい」や「モチベーション」が生まれるわけではない、とハーズバーグは言います。衛生要因はあくまで「不満を防ぐ」ための要因であり、やる気を「生む」ものではないのです。

二つ目は「動機づけ要因(Motivators)」です。
達成感・承認・仕事そのものの面白さ・責任・成長など、仕事の「内容」に関わるものです。これらが充実しているとき、人は自然とやる気が湧いてきます。逆に、これらが欠けているとき、人は「不満ではないけれど、なんか物足りない」という宙ぶらりんの感覚を抱えます。

ここで一つ余談を挟みます。衛生管理者として職場のメンタルヘルス業務に関わっていた私が、ハーズバーグの「衛生理論」という言葉に初めて出会ったとき、妙な親しみを感じたことを覚えています。「衛生」という言葉が、まったく別の文脈でここに現れた、という偶然の重なりです。理論の内容とは関係のない話ですが、自分の経験と学術の概念がつながる瞬間というのは、面白いものだなと思いました。
また、ハーズバーグの理論に少し似ているなと感じたのが「他者の参照点」という視点です。詳しくは以下の記事で触れておりますので、ぜひ合わせてご覧ください。

職場環境が整っているのに、なぜ物足りないのか

「今の職場は悪くないんですよ。待遇も悪くないし、人間関係もそんなにひどくない。でも、なんかモヤモヤするんですよね」

こういう言葉を、衛生管理者として何度耳にしたかわかりません。すごく気持ちはわかるのに、当時はその状況を言語化できずにいました。ですが、今ならその状況をしっかりと言えます。衛生要因はそろっていたのに、動機づけ要因が欠けていたと。

ハーズバーグの理論の核心は、「不満がない」と「やりがいがある」は同じではない、という点にあります。環境を整えることで不満は消えるかもしれませんが、やりがいはそこからは生まれません。
やりがいは、仕事の内容そのものの中にしか宿らないのです。

このことは、「もっとポジティブに考えよう」「感謝の気持ちを持とう」という種類のアドバイスが、やりがいのなさに対してなぜ効きにくいのかも説明してくれます。やりがいは気持ちの持ち方の問題ではなく、仕事の設計の問題だからです。

二つの構造が重なるとき


カラセクとハーズバーグ、二つの理論が示す構造は、どちらか一方だけが存在することもありますが、同時に重なることも少なくありません。

高い要求と低い裁量のせいで消耗している、かつ、仕事に達成感も成長の手応えも感じられない。この二つが重なっている状態は、一方だけの場合より格段に重くなります。消耗で心のエネルギーが削られていくのと同時に、そこにやりがいという補給も入ってきません。両方が同時に進行するとき、人は少しずつ、でも確実に限界に近づいていきます。

消耗しながら、やりがいも失っていくとき

消耗とやりがいのなさが重なっている状態の特徴的なところは、本人がその深刻さに気づきにくい点です。「疲れてはいるけど、そんなに悪い職場じゃないから」「自分が弱いだけかもしれない」という考え方が、状況をあいまいにします。

この状態が長く続くと、仕事への関心そのものが薄れていきます。かつては気になっていたことに無関心になり、「どうせ何をやっても変わらない」という感覚が忍び込んでくるようになります。そうなってから初めて、「あれ、いつからこうなったのだろう」と気づく人が多いのです。

大切なのは、この状態が「意志の弱さ」や「根性のなさ」とは別の話だということです。
構造的に消耗させられながら、構造的にやりがいを得にくい環境に置かれているという状態で限界に近づいていくのは、ある意味で自然な経過とも言えます。

現場で聞いた言葉が、後からつながった

衛生管理者として職場のメンタルヘルスに関わっていた当時、「この人はなぜここまで消耗しているのだろう」と感じる場面が何度もありました。業務量が特別に多いわけでもなく、人間関係が特別に悪いわけでもない。それでも、どこかで限界を超えていっている人がいました。

今から振り返ると、そういった方々の多くに共通していたのは、「やり方を自分で決められない仕事の積み重ね」と「やった手応えが見えにくい業務内容」が、長い期間にわたって続いていたことだったように思います。どちらか一方なら耐えられたかもしれません。でも両方が重なったとき、人はどこかのタイミングで、心の余力が尽きていきます。

あのとき私には、二つの構造が重なっているということを説明する言葉がありませんでした。でも今は、カラセクとハーズバーグという二つの理論が、あの経験に重ねたときにすとんと落ちてきます。言葉を持てなかったあの頃の自分に、今さら少し申し訳ない気持ちがします。

ただ、現に私も退職を選んだのはまさしくその二つが重なったことによるところが大きいというのはここだけの話です。

構造に名前がついたとき、景色が変わる


「自分はどうして職場でこんなに消耗するのだろう」「なぜやりがいが感じられないのだろう」という思いを、ずっと「自分の弱さの問題」として抱えてきた人にとって、構造という視点は少し景色を変えてくれます。

消耗するのは、要求が高くて裁量が低い状態が続いているからかもしれない。
やりがいを感じられないのは、仕事の中に達成感や成長の余地が設計されていないからかもしれない。
そう気づいたとき、「自分が弱いのだろうか」という自責から「自分はどんな構造の中にいるのか」という見方へと、少し向きが変わります。

向きが変わると、見える景色も変わります。
構造的な問題だと気づけば、個人の努力だけでは変えられない部分があることも自然と見えてきます。それは諦めではなく、自分のエネルギーをどこに使うかを考えるための、地に足のついた出発点です。

構造を知ったからといって、すぐに何かが変わるわけではありません。
職場の設計をすぐに変えることも、多くの場合は難しいです。ですが、「なんかモヤモヤする」という言葉が、「消耗の構造があるのかもしれない」「やりがいの設計が欠けているのかもしれない」という言葉に変わったとき、自分の感覚は少し、扱いやすくなるはずです。

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