365日もあるはずなのに、振り返ってみると「今日は調子が良かったな」と心から思える日って、数えるほどしかない気がしませんか?
よく眠れて、頭がすっきりしていて、体も軽くて、気分も上向き。
そんな日が並んだ記憶を辿ろうとすると、ぼんやりとしか思い出せない。
それどころか、「なんか今日はやたらと調子いい気がする」という、その日限りの感覚が、ただ通り過ぎていった記憶だけがおぼろげに残っている。
一方で、「だるかった日」「なんだか気分が冴えない日」のほうは、妙にはっきりと残っていたりします。
これは気のせいではないかもしれません。
実は、調子が良いと感じられる日が少ないことには、いくつもの理由が重なっているようです。
1か月のうち約9.5日は「なんとなく不調」──データが示す現実

漠然とした感覚を一度脇に置いて、まずは具体的な数字を見てみます。
漢方医薬品メーカーの株式会社ツムラが、20〜60代の男女3,000人を対象に行った「第4回なんとなく不調に関する調査」(2023年)では、その年に「なんとなく不調」を感じた人は全体の80.0%にのぼっています。前年の72.1%からさらに増加し、30代女性に至っては実に9割が不調を実感しているという結果でした。
注目したいのは、不調を感じる日数です。1か月のうち平均で9.5日。1か月のおよそ3分の1は、はっきりした病気ではないけれど「なんとなく調子が悪い」と感じながら過ごしている計算になります。要因として上位に挙げられたのは「睡眠不足」「やる気が出ない」「加齢」「気温の寒暖差が激しい」など。しかし、こうした不調を抱えていても、実際に医療機関を受診する人はわずか29.5%にとどまっています。
つまり、多くの人が「病院に行くほどでもないけれど、なんだか調子が悪い」という状態を、誰にも訴えずに静かに抱えているのです。
内閣府が令和5年度に実施した「男女の健康意識に関する調査」も、同じ方向を指しています。「月に3〜4日程度以上、体調が悪い」と答えた人の割合は、女性で34.2%、男性で27.0%。男女差が最も大きいのは20〜40代で、女性では若い年代ほど不調日の頻度が高い傾向が見られます。一方、50〜60代の女性では「体調が悪い日は基本的にない」と答える人が3〜4割と最多になり、年代によって体調の感じ方が大きく異なることもわかります。
加えて、海外の研究では、原因がはっきりしないのになんとなく体調が悪い、いわゆる「不定愁訴(ふていしゅうそ)」を抱える成人は20〜30%にのぼると推定されています(Rosendal M, Olsen F, Fink P. BMJ, 2005)。これは「日本人だから」「現代人だから」という話ではなく、人類に普遍的な現象でもあるということです。
ツムラ調査の月9.5日を単純に1年に当てはめると、約115日。365日のうち、3分の1近くが「なんとなく不調」の日となります。残りを「とても悪い日」「普通の日」「良い日」に分けていけば、心から「今日は調子が良かった」と言える日は、本当にわずかな数になってしまうのも当然と言えます。
「調子が良いと感じる日が少ない」というのは、感覚の話ではなく、最初から数字として裏打ちされている事実だったわけです。
なぜ「調子が悪い日」のほうが記憶に残るのか

データを見るかぎり、調子が悪い日はそれなりの頻度で訪れているのだとしても、調子が良かった日の記憶があまりに薄いのはなぜでしょうか。
実はここにも、一定の要因が存在しています。
心理学で「ネガティビティ・バイアス」と呼ばれる、脳のクセです。
これは、人間がポジティブな情報よりもネガティブな情報のほうに強く注意を向け、より深く記憶に刻む傾向のことを指します。心理学者バウマイスターらが2001年に発表した有名なレビュー論文の題名「Bad is stronger than good(悪は善よりも強い)」は、その性質をそのまま言い表しています。論文では、人間関係、感情、学習、健康、対人評価など多領域の研究を見渡したうえで、「悪い出来事の影響は、良い出来事の影響よりも一貫して強い」と結論づけられています。
たとえば、10個の褒め言葉をもらっても1つの否定的な言葉が何日も頭から離れない、というような経験には心当たりがある方も多いはずです。シカゴ大学の脳神経科学の研究では、被験者にポジティブ・ニュートラル・ネガティブの画像を見せたところ、脳の電気的反応はネガティブな画像に対して最も強く出ることが確認されています。
このことが示すに、脳のなかでは、良い情報と悪い情報は、同じ重さでは処理されていないわけです。
このバイアスの背景にあるのは、人類の進化です。
野生のなかで生き延びるためには、目の前の安心よりも、わずかな危険のシグナルを優先して察知し、覚えておく必要がありました。「あそこで嫌な思いをした」「あの食べ物で具合が悪くなった」という記憶が薄ければ、命に関わる場面で同じ過ちを繰り返してしまいます。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらの研究でも、人間が利得よりも損失を大きく感じる「損失回避」の傾向(プロスペクト理論)が示されていますが、これも同じ流れのなかにあるものです。
体調の話に戻ると、こうした脳のクセは「調子の悪い日の記憶」と「調子の良い日の記憶」の保存のされ方に、明らかな差を生みます。だるかった日、頭が痛かった日、気分が沈んだ日は、警戒すべき情報として強く刻まれます。一方で、普通に動けて、機嫌よく過ごせた日は、わざわざ覚えておく必要のない「ベースライン」として、ぼんやりとした霞のなかに埋もれていきます。
結果として、極端な日だけが手前に並び、平均的に良かった日が背景に沈むので、記憶のなかでは「悪い日」のほうがいつも近くにあるように感じられるのです。
私たちは中立に世界を見ているつもりでも、脳の『情報フィルタリング機能』は、思った以上に偏っています。ニュースメディアが刺激的な事件を優先して報道するように、私たちの意識もまた、ネガティブな情報を『最優先重要資料』として扱いがちです。
意識して目を向けない限り、手元にあったはずの『今日は調子が良かった』という貴重な事実は、記録にすら残らずに消えてしまうのです。

体・心・環境──3つの波が同時に整う日は、構造的に少ない

記憶の偏り以前の問題として、そもそも「絶好調」と呼べる状態が成立する日が、構造的にとても少ないという事情もあります。それは、私たちの体調は、いくつもの「波」が重なり合って決まっているからです。
体の内側にあるいくつものリズム
ヒトの体には、複数の周期が同時に動いています。
最もよく知られているのは、約24時間で巡る概日リズム(サーカディアンリズム)です。睡眠と覚醒、深部体温、ホルモン分泌、認知機能などが、1日のなかで上下しています。深部体温は明け方が最も低く、夕方に向けて少しずつ上昇し、夜にかけて下がっていきます。覚醒度や注意力も、この体温曲線にゆるやかに連動するため、「午後の眠気」「夕方の集中の戻り」「夜の眠気」といった日常の感覚は、すべてこのリズムの上に乗っています。同じ1日のなかでも、調子が良い時間帯と悪い時間帯が、決まったパターンで入れ替わっているわけです。
そのなかでさらに小さな波として、約90〜120分周期で集中力や眠気が変動する「ウルトラディアンリズム」も動いています。会議が90分を超えると急につらくなる、勉強や仕事が2時間を超えると効率がガクッと落ちる、という体感は、このリズムによるものです。一流のバイオリニストの練習が90分単位で区切られているという研究報告もあり、人の集中の波には自然な「区切り」が存在することがうかがえます。
女性であれば、約1か月のホルモンサイクルが加わります。卵胞期、排卵期、黄体期、月経期と相を変えながら、エストロゲンとプロゲステロンの分泌量が大きく変動し、それに伴って体調、気分、睡眠の質も変わります。生理痛や月経前症候群(PMS)の有無に関わらず、この月単位の波からは逃れられません。
さらに季節のリズムもあります。日照時間の短い冬には、セロトニンの分泌が下がりやすく、季節性情動障害(SAD)のように一部の人には強い不調をもたらすことも知られています。春先の自律神経の乱れ、梅雨時の重だるさ、夏バテ、秋の物悲しさといった季節感のある不調も、年単位のリズムの一部です。
これらのリズムはそれぞれ独立して動いているので、すべてが「上向き」の状態でそろう日のほうが、本来は珍しいことになります。

外側からやってくる揺さぶり
そのうえに、外部環境からの影響が乗ってきます。気圧、気温、湿度、寒暖差、季節の変わり目、花粉、黄砂、騒音、光の量、それから人間関係の出来事まで。
なかでも気圧の変動による不調、いわゆる「気象病」は、日本国内で1,000万人以上が悩んでいると推計されています(医師の久手堅司氏による推計)。
気象病のメカニズムも、近年かなり具体的に分かってきています。
耳の奥にある内耳には、平衡感覚を担う三半規管とともに、気圧の変化を感知するセンサーのような機能があります。気圧が変動すると、ここで受け取った情報が前庭神経を通って脳の自律神経中枢に伝わり、交感神経と副交感神経のバランスが崩れ、その結果、頭痛、めまい、肩こり、倦怠感、気分の落ち込みといった症状が現れます。低気圧が近づく前から不調を感じる人がいるのは、内耳のセンサーが先に変化を察知しているからだと考えられています。
工場で10年ほど働いていた経験で常に感じていたのは、複数のラインがすべて同時に絶好調で稼働する日というのは、めったにないということでした。どこか1つは原料の供給が遅れていたり、設備の調子が悪かったり、人員の組み合わせが噛み合っていなかったりします。1本のラインだけなら絶好調の日もそこそこあるのですが、たとえば5本のラインがすべて同時に絶好調というのは、本当に年に数えるほどしかありませんでした。
人の体も同じです。概日リズム、ウルトラディアンリズム、ホルモンサイクル、季節性、気象、外部刺激。これだけの波が同時に「上向き」になる日は、確率的に考えてもとても少なくなります。逆に、すべてが下振れする「とことん調子が悪い日」も、同じくらい珍しいはずです。
多くの日々は、ぼんやりした「中間」のなかにあるわけです。
現代社会特有の負荷──情報過多、休む罪悪感、常時接続のストレス

ここまでは、人間という生き物がもともと抱えている事情の話でした。しかし、現代を生きる私たちの「調子の悪さ」には、もう一つの層が乗っています。それは、この時代に特有の負荷です。
情報量と常時接続が脳を休ませない
スマートフォンを開けば、ニュース、通知、SNS、メッセージ、動画が絶え間なく流れてきます。総務省の通信利用動向調査でも、スマートフォンの保有率は年々上昇し続けており、私たちの脳は起きているあいだ、ほとんど刺激を受け続けている状態です。
注意の研究では、人間が一つのタスクから別のタスクに意識を切り替えるたびに「スイッチングコスト」と呼ばれる認知的な負担がかかることが知られています。通知が1つ来るたびに、たとえそれを開かなくても、注意は一瞬そちらに向けられ、元の作業に戻るのにしばらく時間がかかると言われます。気づかぬうちに、脳は1日のなかで何百回と微細な切り替えを繰り返し、慢性的に疲労した状態に置かれていきます。
問題は、これが「休んでいる時間にも続いてしまう」ことです。
仕事から離れていても、夜の布団のなかでもスマホを覗き、通知ひとつで意識が業務モードに引き戻されるなど、物理的に休んでいても、脳のスイッチが切れていない時間がとても長くなっています。さらに、現代では「休むことそのものへの罪悪感」も、不調を後押しする要因として無視できません。SNSを開けば誰かが何かを学び、誰かが何かを始めています。比較が容易になった分、「自分も何かしなければ」という焦りが、本来回復に使うべき時間を侵食していきます。
ツムラの先述の調査でも、「なんとなく不調」の要因として「睡眠不足」「やる気が出ない」と並んで、ストレスや情報疲れに関連する回答が上位に入っています。常時接続そのものが、不調の温床になっているわけです。

月曜日の不調と「週末の時差ボケ」
もう一つ、現代に特徴的なのが、曜日によって調子に偏りが生まれる現象です。マーケティング会社ネオマーケティングの調査では、「嫌いな曜日」の1位は月曜日で69.5%です。実際、SNS上の「ブルーマンデー」関連の投稿は、長期休み明けに急増するという分析もあります(ブレインパッド「Brandwatch」調査)。別の調査では、日本の20代社会人の約72%が「週明けに気分が沈む」と回答しているという報告もあります。
この月曜の不調には、生理学的な裏付けもあります。平日の睡眠リズムと休日の睡眠リズムがずれることで生じる「ソーシャル・ジェットラグ(社会的時差ボケ)」です。土日に起床・就寝時間が後ろにずれると、まるで数時間分の時差のある場所に旅行したような状態になり、月曜の朝に体内時計と社会の時計が噛み合わなくなってしまいます。
「土日にしっかり寝たのに月曜がつらい」という感覚には、こうした仕組みが関わっています。
週5日働く社会で生きるかぎり、毎週月曜日に時差ボケが訪れる構造から逃れるのは、なかなか難しいことです。年間50回以上、定期的に不調が組み込まれていると考えると、調子が良い日が少なく感じられるのも当然の帰結に思えてきます。
工場の話に戻ると、機械にも「定格出力」と「最大出力」があって、最大出力で動かし続ければ寿命は確実に縮みます。だからこそ生産計画では、稼働率に余白を持たせ、点検と休止の時間をきちんと組み込みます。人間にも同じことが言えるはずなのですが、現代の生活はかなりの時間、私たちを「最大出力」に近いところで動かそうとしているように感じます。情報が常に流れ、休日も完全には休めず、週明けには時差ボケのなかで仕事に戻る。こうした条件のなかで「調子が良い日」を確保するのは、構造的にかなり難しい話なのです。

「調子が良い日」のものさしを、少しだけゆるめてみる

ここまでで、調子が良い日が少なく感じられる理由を、データ・脳の仕組み・体と環境のリズム・現代社会の負荷という4つの角度から見てきました。まとめてみると、「実際に不調を感じる日が多い」という事実があり、その上に「調子が良い日は記憶に残りにくい」という脳のクセが乗り、さらに「複数の波が同時に整う日は構造的にまれである」という人体の仕組みがあって、最後に「現代社会の負荷が回復の時間を奪っている」という状況が重なっている、ということになります。
ふと立ち止まって考えてみると、私たちが思い描く「調子が良い日」というのは、もしかするとかなりハードルが高いのかもしれません。
朝からすっきり目覚めて、体は軽く、頭は冴え、気分も明るく、ちょっとした仕事もはかどる。そんな、すべての条件が同時にそろった日。
しかし、ここまで見てきたとおり、これだけの波が同時に上向く日は、確率的にも構造的にも、めったに訪れません。
であれば、「調子が良い」と判断する基準そのものを、少しだけゆるめてみるという選択肢があるのかもしれません。10点満点で考えたとき、9〜10点の日だけを「良い日」とカウントすれば、年に数回しか訪れないかもしれませんが、6〜7点の日まで含めれば、思いのほか多くの日々がそこに入ってくるはずです。
私の上司だった人に印象的な方がいらっしゃるのですが、その方は、「仕事なんて5割できればOKだよ。だって、四捨五入したら100でしょう?」という独自理論を持っていた方がいらっしゃいました。言わんとしていることはわかるのですが、論理としてはツッコミどころもあり⋯。ただ、今となっては、『そのくらいの気持ちで十分』ってことだったのだと思います。
「今日は朝のコーヒーがいつもより美味しく感じた」「読んでいた本の言葉がすっと入ってきた」「寒暖差のなかでも頭痛が出なかった」「仕事の合間にふっと窓の外を眺める余裕があった」。完璧な絶好調ではなくとも、こうした小さな「上向き」の瞬間は、おそらく365日のなかにかなりの数、散らばっています。
そして、それらをただ流して通り過ぎるのではなく、ほんの一行でいいから書き留めてみる。これは、ネガティビティ・バイアスという脳のクセに対する、ささやかな抵抗にもなります。私たちが何もしないと脳は悪い情報ばかりを記録しますが、意識して良かった瞬間を書き出しておけば、後から振り返ったときに「悪くなかった日」がそこにあったことに気づけます。
司書として日々目録を作っていた頃の感覚で言えば、記録されないものはやがて存在しなかったことになります。逆に言えば、わずかでも記録されたものは、確かに残ることになります。
調子が良い日が少なく感じられるのは、脳の特性と体の仕組みと、暮らす時代の重なりのなかでは、ある意味で自然なことでした。
だからこそ、絶好調を待ち望むよりも、今日のなかにある小さな「ちょっといいな」を拾ってみること。
波があることを前提にして、波の頂点ではなく、海面の少し上にある光のきらめきに目を向けること。
そんな視点で改めて365日を眺めてみたら、見える風景は少しだけ違ってくるのではないでしょうか。


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