環境が変わっても「いつかしたい」のまま──先送りを好む、脳のとある性質

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「時間ができたら始めたい」
「お金が貯まったら行きたい」
「仕事が落ち着いたら連絡しよう」

──そんな言葉を自分に言い聞かせたまま、気がつけば何年も経っていた。

そういう経験は、誰にでも一度や二度あるのではないでしょうか。

私自身、会社員を辞めて数ヶ月が経ったとき、あることに気がつきました。
働いていた頃に「いつかしたい」と思い描いていたことが、時間という制約がなくなったはずの今も、ほとんど手つかずのままだったのです。
寝台列車に乗りたい、行ったことのない土地を旅したい、英語の勉強をしたい──それらは依然として、頭の中に「いつかすること」として静かに残っていました。

「環境が変われば動ける」と思っていたのに、なぜ「いつか」はいつまでも「いつか」のままなのでしょうか。この記事では、その背景にある脳の傾向を、神経科学と心理学の研究をもとに整理していきます。
「意志が弱いから」「やる気が出ないから」という言葉で片づけるには、少し惜しい話が隠れていました。

目次

「いつか」がいつまでも「いつか」である、という現象


会社員として働いていたとき、私は心の中にいくつもの「いつかしたいこと」を持っていました。忙しい日々の中でそれを思い描くと、ほんのりとした明るさがありました。
「今はムリでも、いつか必ず」という感覚は、ある種の心の支えにもなっていた気がします。

それが、実際に時間の自由を手に入れてみると、何も変わっていませんでした。
「なぜ動けないのだろう」と考えてみると、「めんどくさい」「また今度でいいか」「そもそもお金がないや」という感覚が先に来るのです。
やりたくなくなったわけではないのに、なぜか一歩が出ない。

「先送りは意志の問題だ」という見方は、心理学の研究の世界ではすでに古くなりつつあります。では、何の問題なのか。その手がかりのひとつが、脳の働き方の中にあります。

報酬系の「今を優先する」性質と、「いつかしたい」はどう違うのか


先送りを行動経済学の観点から説明するとき、よく登場するのが「現在バイアス」という概念です。
将来より目の前の報酬を実際の価値以上に大きく評価してしまう傾向で、少し待てばより多くが得られるとわかっていても「今すぐ」という条件が加わるだけで判断が揺らいでしまう、よく聞くやつです。
これは、経済学者George Ainslieらが「双曲割引(Hyperbolic Discounting)」として研究した現象で、脳の報酬系が時間的に近い利益に強く反応することと深く関係しています。

ところが、「いつかしたい」という感情は、この現在バイアスとは少し異なる構造を持っています。現在バイアスは「今の報酬 vs 将来の報酬」の対立ですが、「いつかしたい」は「報酬を今すぐ欲しがっている」状態とは少し異なります。むしろ、報酬を受け取ること——つまり体験することを、将来の自分に丸ごと委ねているという状態です。

一見すると、現在バイアスとは逆向きの現象のように見えます。

では、なぜこの二つが同じ人の中に共存するのでしょうか。
そのカギは「コストとメリットの扱い方」にあります。報酬系が「今すぐのメリット」を優先するのと同じ仕組みで、今すぐのコスト──手間・準備・心理的エネルギー・変化への適応を回避することも優先されるのです。
「いつかしたい」は、メリット(体験・楽しさ)だけを将来に回しながら、コスト(行動・準備・変化)を現在の自分が払わずに済むように設計された、ある種の合理的な回避戦略だと見ることができます。

脳にとっては理にかなった動きであることは確かです。
ただ、その結果として「いつか」が積み上がっていくのも、また事実です。

脳は「未来の自分」を、どこか他人として処理している


「いつかしたい」が将来の自分への委託であるとすれば、その「将来の自分」が脳の中でどのように処理されているかが重要になってきます。神経科学の研究は、ここで少し意外な結果を示しています。

fMRI研究が示した「未来の自分」の扱われ方

ニューヨーク大学(後にUCLAへ移籍)の心理学者Hal Hershfieldらの研究チームは、参加者に「現在の自分」「将来の自分」「よく知る他者」「まったく知らない他者」についてそれぞれ考えてもらいながら、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)で脳の活動を記録しました。

その結果、「将来の自分」について考えているときの脳の活動パターンは、「現在の自分」のパターンよりも「まったく知らない他者」のパターンに近いことが示されました(Hershfield et al., 2011, Journal of Neuroscience)。

つまり、未来の自分を「自分事」として処理することは、脳にとって思いのほか難しいことである可能性があります。将来の自分が何を感じ、どんな状況にあるかを、現在の自分と同等の実感として想像する回路が、もともと弱いのです。

「よく知らない相手」への委託だから「まあいつかやるだろう」になる

この研究結果は、「いつかしたい」という感情の構造にそのまま当てはまります。

誰かに頼みごとをするとき、それが親しい人であれば「この人ならこう動くだろう」と具体的に見えます。でも、よく知らない相手に何かを頼むとき、「たぶんなんとかしてくれるだろう」という漠然とした期待や、「うまくやってくれるだろうか」という不安がつきものです。相手の状況も気持ちも、ほとんど見えていないからです。

将来の自分への「いつかしたい」が、この後者に近い感覚だとすれば、「なんとなくいつかやるだろう」という状態で止まりやすいのも、自然なことのように思えてこないでしょうか。
「怠惰だから動けない」のではなく、未来の自分と現在の自分が、脳の中でそもそも同一に処理されていない可能性がある。そう考えると、「いつか」が「いつか」のまま続く現象を、少し違う角度から眺めることができます。

遠い未来は、なぜか現実感を持ちにくい


将来の自分が「他人」として処理されやすいという性質に加えて、もうひとつ、先送りを生みやすくする心理的な仕組みがあります。時間的な距離が、思考そのものの質を変えてしまうという現象です。

心理的距離が変える「考え方の解像度」

心理学者Yaacov TropeとNira Libermanが提唱した「解釈レベル理論(Construal Level Theory)」によれば、人は時間的・空間的に遠いものを「抽象的」に、近いものを「具体的」に考える傾向があります。

たとえば、1年後の旅行について考えるとき、「自分へのご褒美」「非日常の解放感」「行ってみたかった場所」「見てみたかった景色」といった、おおざっぱで理想的なイメージを思い描きやすいものです。
ところが同じ旅行が「来週」になった途端、「宿の予約はどうする?」「仕事のスケジュールは調整できる?」「荷物は何が必要?」「観光地はどこを回る?」「お昼はどこで食べる?」といった具体的な課題が次々と浮かんできます。

「いつかしたい」が遠い未来である限り、それはずっと「美しい理想のイメージ」として存在できます。
準備の手間も費用の計算も、ぼんやりとしたまま視野に入りにくいため、だからこそ、あの「ほんのり明るい憧れ」の感覚が維持されるのかもしれません。

「夢のように素敵」に感じるのは、遠いからこそかもしれない

これは、「いつでも行けると思うと行かなくなる」という現象とも重なります。遠くに住んでいるうちは「いつか行きたい」と思い続けていた観光地が、近くに引っ越した途端「いつでも行ける」になり、結局一度も訪れないまま終わる。そして離れると「あのとき行っておけばよかった」と惜しくなる。

これは私はよく思っています。
転勤で観光地に近いところに住んでいたのにもかかわらず、その時は仕事にかまけて「すぐに行けるし、落ち着いたら行こう」と思っていました。ところが、落ち着く暇もなく転勤となり、遠ざかってから後悔しています。
そもそも、「落ち着くとは⋯?」と今なら思います。

近くなった途端にコストが具体的に見えてきて、優先順位が下がる──これも、解釈レベル理論で説明できる現象です。「憧れていたはずなのに、なぜか動けない」という状況の多くは、遠さが維持していた輝きが、近づいたことで具体的な現実に変わった結果とも言えます。

「いつかしたい」の美しさは、ある意味で「遠さ」によって守られています。その性質を知っておくだけで、動けない自分を責める以外の見方ができるようになるかもしれません。

「老後に〇〇したい」──その「老後」は、いつから始まるのか


「老後には旅行をたっぷり楽しみたい」「老後こそゆっくり好きな本を読みたい」という言葉を、よく耳にします。「いつかしたい」の中でも、老後という時間軸はとりわけ特殊な位置を占めています。

ファイナンシャルプランニングの勉強会の中でもとりわけ話題に上がることの多いこのテーマ。私自身も学習を通じて家計や老後設計に触れてきた立場からも、この「老後」という言葉の曖昧さは気になるところです。
公的年金の受給開始年齢は原則65歳ですが、繰り下げれば75歳まで遅らせることができます。一方、厚生労働省の調査(2019年時点)によれば、日本人の健康寿命──日常生活に制限のない期間の平均──は、男性で約72.7歳、女性で約75.4歳とされています。

「老後に〇〇したい」が65歳以降を指すとして、健康的に自由に動ける時間は、統計的に見て10年前後という計算になります。老後は、思いのほか短い時間かもしれません。

心理学者Katherine Milkmanらの研究(2014年、Management Science)には「Fresh Start Effect(新鮮スタート効果)」という現象が示されています。人は、新年・誕生日・月初めといった「時間的な区切り」を、行動を変えるきっかけとして使いやすいというものです。老後もこうした区切りとして機能するはずのものですが、ひとつだけ他の区切りと異なる点があります。
新年は必ず1月1日に来ますが、「老後」がいつ来るかは人によって異なり、そもそも明確に定義されていません。だからこそ「まだ老後じゃない」と言い続けることができ、その区切りが永遠に先送りされやすい構造になっているのです。

前のセクションでの、「落ち着いたら」と同じ曖昧さですね。

「いつかしたい」という感情は、放置すると少しずつ薄れていく


もうひとつ、見ておきたい現象があります。

「いつかしたい」という気持ちは、長く放置されるほど、その鮮度を失っていきます。最初は「絶対にやりたい」だったものが、時間とともに「まあできればいいな」になり、気がつけば「もういいか」になっていた。そういう経験を持つ方もいるのではないでしょうか。

私自身も、「推しのライブに行きたい」という気持ちが、忙しさを理由に先送りしているうちに、その気持ち自体がだんだん遠くなっていくのを感じました。
やりたい気持ちが消えたわけではないのに、エネルギーが向かなくなっていく感覚です。その状態は、会社員を辞めた後も、しばらく続きました。

行動に移されなかった感情は、時間とともに薄れやすいものです。
一方で、実際に行動した体験は記憶として蓄積され、次の好奇心の種になります。
「いつかしたい」を放置し続けることは、新しい体験から生まれるはずの好奇心を、少しずつ積み損ねていくことでもあるのかもしれません。

司書として多くの人の「調べたいこと」「知りたいこと」に向き合ってきた経験を思い返してみると、好奇心は使うほど育ち、使わないほど萎むという感覚が近いでしょうか。
「いつかしたい」という感情は、その萌芽のようなもので、日に当てたり水をやったりしないままでいると、知らないうちに弱っていく。
欲しいものも、行きたい場所も、やってみたいことも思い浮かばなくなってきたとすれば、それは単なる「落ち着き」ではなく、好奇心の根が揺らいでいるサインかもしれません。

「いつか」に期限を加えると、思考の方向が変わる


「いつか」に具体的な期限をつけることが有効だ、という話はよく聞きます。ただ、なぜそれが効果的なのかを少し整理しておきたいと思います。

心理学者Peter Gollwitzerが提唱した「実行意図(Implementation Intentions)」という概念があります。
これは、「〇〇をしたい」という漠然とした目標を持つだけよりも、「いつ・どこで・どのように行動するか」まで具体的に決めておくほうが、実際の行動率が大幅に上がるという考え方で、複数の研究によって裏付けられています(Gollwitzer & Sheeran, 2006, Advances in Experimental Social Psychology)。

この概念は先述の解釈レベル理論とも連動しています。
「いつか旅行したい」という状態では、旅行はまだ遠い抽象的なイメージです。ところが「来年の春休みに、青春18きっぷで日本海側を回る」と決めた途端、何を調べればいいか、何を準備すればいいかという具体的な思考が自然と動き始めます。脳が「近いもの・具体的なもの」として処理し始めるからです。

私自身、退職後に「いつかのリスト」を眺めたとき、それぞれに「いつまでに」という言葉を加えてみました。すると、「なぜできないか」ではなく「どうすればできるか」を考えるようになっていることに気づきました。
同じ「やりたいこと」なのに、考え方の向きがまったく変わるのです。さらには、今この瞬間にしかできないことについては、余計なことを考えずに動けるくらいには、行動が軽くなりました。

「期限をつける」のは、やりたいことを義務に変える作業ではありません。
遠くにあるものを、少しだけ近くに引き寄せる作業です。近づけば具体的になり、具体的になれば脳が「どうすればできるか」を考え始める。

その順序が、行動への自然な流れを作っていくように思います。

「いつかしたい」の声を、少しだけ丁寧に聞いてみる


ここまで見てきたことを整理すると、「いつか」が「いつか」のままになりやすい背景には、脳が未来の自分を現在の自分と同一には処理しにくいという性質、時間的に遠いものを抽象的にしか考えられないという傾向、行動のコストを今すぐ回避しようとする仕組み、そして「老後」や「落ち着いたら」のような曖昧な区切りは永遠に先送りされやすいという特性──これらが重なっていることが見えてきます。

これらはどれも、意志の強さとはあまり関係のない話です。
脳の設計上の傾向として、先送りは起きやすいものなのです。

ただ同時に、「だから仕方がない」で終わりにするには、少し惜しいとも思っています。

「いつかしたい」という感情は、あなた自身の好奇心の声です。
日常の中でふとそういう気持ちが芽生えた瞬間は、自分が何に興味を持っているかを教えてくれる、数少ない手がかりでもあります。
その声は、放っておけば少しずつ遠ざかっていきます。


試しに、今頭の中にある「いつかしたい」をひとつだけ取り出して、「いつまでに」という言葉を加えてみてください。
来年の春までに、でも、何かの記念に、でも構いません。
それだけで、脳の処理が少し変わります。

「できるかどうか」ではなく、「どうすればできるか」を考え始める瞬間が来るとすれば、そこが動き出しのタイミングです。

「いつか」に輪郭が生まれたとき、それはもう「いつか」ではなくなっています。

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