HEPAフィルターは何を捕まえているのか──手術室と家庭をつなぐ、空気清浄の仕組み

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ほこり対策について調べていると、「空気清浄機を使うなら、HEPAフィルターのものを」という一文に出会うことがあります。

でも、なぜHEPAなのか?
そもそもHEPAとは何を意味するのか?
——そういったことを説明してくれる記事は、意外と少ないものです。

ということで、この記事では、製薬メーカーで働いていたときにHEPAフィルターと出会ってからというもの、なんかとにかくHEPAフィルターが大好きになってしまったわたしが、ほこり対策を入口に、HEPAフィルターについて語っていきたいと思います。

目次

掃除しても戻ってくるほこりの正体


丁寧に拭き掃除をしたはずなのに、数日もすればまた棚にうっすらと白い層が積もっている⋯。
あのなんとも言えないウンザリ感に覚えのある方は、きっと多いのではないかなと思います。

あのウンザリ感には、実はふたつの原因が重なっています。

ひとつは、取り除いたはずのほこりが戻ってくることです。
繊維くずや髪の毛、砂ぼこりといった目に見えるほこりは、拭き掃除や掃除機がけである程度は取り除けますが、それでも完全には取り除くことができません。
人が歩いたりドアを開け閉めしたりするだけで、残っていたほこりが空気に乗って再び舞い上がり、時間をかけてまた降り積もるためです。「掃除したのに戻ってくる」と感じる正体がこれです。

もうひとつは、そもそも掃除では取り除けないほこりが空気中に漂い続けていることです。専門用語では微粒子と表現します。カビの胞子、ダニのフンの粉砕物、花粉、PM2.5のような微粒子は非常に軽く、床に降りてくる前に長時間空気中を漂います。浮いている時間のほうが長いことで、これらは拭いても掃除機をかけても除去効果は非常に限定的です。

つまり、あのウンザリ感をもう少し正確に言い直すと、「見えるほこりは取っても戻ってくるし、見えないほこりにはそもそも手が届いていなかった」ということになります。空気清浄機がほこり対策として挙げられるのは、この「見えないほこり」に対して、空気ごと吸い込んで内蔵されたフィルターで粒子を捕まえることができるからです。

しかし、一般的なフィルターでは、この目に見えないほど小さなほこりはすり抜けてしまいます。そこで、目に見えないほこりをしっかりと捕まえられる「高性能なフィルター」を見分けるための世界基準として、HEPAという規格が存在します。

HEPAは、「最も捕まえにくい粒子」で試される


HEPAは製品名でもメーカーのブランドでもありません。「High Efficiency Particulate Air filter(高効率微粒子エアフィルター)」の頭文字をとったもので、一定の性能基準を満たしたフィルターだけが名乗れる規格の名称です。

日本ではJIS規格(JIS Z 8122)によって、「定格風量において、粒径0.3マイクロメートルの粒子を99.97%以上捕集でき、かつ初期圧力損失が245Pa以下」という条件を満たすものがHEPAフィルターと定義されています。

0.3マイクロメートル。99.97%。この数字だけ見ても、今ひとつピンときません。ただただ、0.3マイクロメートルのサイズのものを100%近くまで取れる、ということしか読み取れません。ですが、この「0.3」という数字には、実はとても面白い理由があります。

フィルターの繊維は、大きな粒子と小さな粒子をそれぞれ別の方法で捕まえています。大きくて重い粒子は、気流が繊維のまわりで曲がるときについていけず、繊維に直接ぶつかって止まります。逆に、非常に小さな粒子は、空気中の分子にぶつかってランダムに動き回る性質(ブラウン運動)を持っているため、動き回っているうちに繊維に接触して捕まります。

ところが、0.3マイクロメートル前後の粒子は、このどちらの効果も中途半端にしか働かない大きさにあたります。ぶつかるには軽すぎて、ランダムに動くには大きすぎるという絶妙なサイズ感。つまり、フィルターにとって「最もすり抜けやすい粒子」なのです。この粒径は、MPPS(Most Penetrating Particle Size:最大透過粒径)と呼ばれています。

HEPAの規格は、あえてこの「最も難しい条件」で性能を証明するように設計されています。最も捕まえにくい粒子で99.97%以上の捕集率を出せるなら、それより大きい花粉(約30マイクロメートル)も、それより小さいウイルスを含む飛沫核も、原理的にはさらに高い確率で捕まえられるからです。

わたしが毎日エアシャワーを浴びていた理由


この「空気中の粒子を管理する」という技術は、製薬メーカーで働いていたわたしにとっては、割と馴染み深いものでした。最初こそ、HEPA?へパ?へ?っていうような状態でしたが⋯。

毎朝、工場に出勤すると私服から専用の作業着に着替えます。製造エリアに立ち入る際には、そこからさらにクリーンエリア用の作業着に着替えます。髪の毛が一本も外に出ないようにインナーキャップとオーバーキャップをかぶり、専用の靴を履いて、手を洗って、消毒をして、マスクを付けて、手袋をして。そしてエアシャワー室に入ります。
四方からジェット気流が吹きつけて、作業着の表面に付着した繊維やほこりを吹き飛ばします。この一連の手順を経て、ようやく製造エリアに入ることが許されます。

そして、製造エリアの空気は、天井に設置されたHEPAフィルターを通して常に供給されていました。室内を外部より気圧の高い「陽圧」に保つことで、ドアの隙間から外気が入り込むのを防ぐ構造です。この空気管理の背景にあるのが、GMP(Good Manufacturing Practice:適正製造規範)と呼ばれる品質基準と、ISO 14644-1という国際規格に基づく「清浄度クラス」です。

清浄度クラスは、1立方メートルの空気中に含まれる粒子の数で等級が決まります。ISOクラス1(最も清浄)からクラス9まであり、一般的な屋内空気はクラス9相当とされています。わたしが日常的に出入りしていたのはクラス7〜8程度の環境でしたが、それでも一般の室内とは数百倍の差がある世界でした。

「なぜそこまでするのか」と思うかもしれませんが、答えは単純で、目に見えない繊維1本、ほこり1粒(カビの胞子とか)の混入が、そのまま製品の品質に関わるからです。
品質保証では、「見えないものをどう証明するか」という問いに日々向き合います。空気中の粒子数を定期的に測定し、記録し、基準を外れていれば原因を調べて対策を打つ。地味な仕事ですが、その積み重ねがなければ、「この製品は安全です」とは言えません。

HEPAフィルターは、その積み重ねのいちばん最初にある存在でした。空気がフィルターを通るという、たったそれだけのことが、作業環境のベースを作り出します。そして、HEPAフィルターが正しく機能していれば、クリーンな状態を保てているという安心感があることが大きかったです。恐らくですが、この安心感こそが、わたしがHEPAフィルターをやたらと好いている理由だと思います。

あと、話が脱線しますが、クリーンルームの陽圧管理をしていると、ドアが常に空気で押された状態になるので、結構な頻度で壊れるんです。閉まらなくなったり、歪んだり。それほどにまで強い陽圧状態にしていました。

その技術が、家にある


手術室でも、同じHEPAフィルターが使われています。手術中に空気中の細菌やほこりが傷口に入り込まないよう、HEPAフィルターを通した清浄な空気を送り込み、室内を陽圧に保つことで外気の侵入を防ぎます。この仕組みは世界中の医療施設で、感染リスクを下げるための基本的な手段として採用されています。

半導体の製造現場も同様です。回路の線幅がナノメートル単位にまで微細化された半導体にとって、空気中のほこり1粒は製品を不良にする直接の原因になりえます。こうした環境では、HEPAをさらに上回るULPA(Ultra Low Penetration Air)フィルターが使われることもありますが、根本にある考え方は同じです。

HEPAフィルターは、1940年代のアメリカで放射性粒子を封じ込めるために開発されたと広く伝えられています。核兵器開発に関わる研究施設で働く人々を守るために生まれた技術が、その後、手術室、製薬工場、半導体工場へと広がり、何十年もの時間をかけて家庭用の空気清浄機にまで降りてきました。

家電量販店で買える空気清浄機に搭載されているHEPAフィルターは、装置の規模や風量こそ異なりますが、「0.3マイクロメートルの粒子を99.97%以上捕まえる」という規格上の基準は同じものです。
手術室や工場のためだけの技術が、いつの間にか家庭のリビングにも届いている。その事実を知ったとき、わたしは迷わずHEPAフィルター搭載の空気清浄機を購入しました。家にいても、あの現場と同じ仕組みがそばにある安心感を買ったのでした。

知ってから使うと、少しだけ変わること


ここまで読んでいただいた方の中には、自宅の空気清浄機のことが少し気になり始めた方もいるかもしれません。

HEPAという規格が確かな性能基準に基づいていることはお伝えした通りですが、「HEPAと書いてあれば安心」とも言い切れません。フィルターの性能は、あくまで「吸い込んだ空気をきれいにする能力」です。部屋の空気がきちんと吸い込まれていなければ、性能が高くても効果は限られます。

たとえば、吸い込み口が壁や家具でふさがれていないか。部屋の広さに対して適用床面積が小さすぎないか。そして意外と見落としがちなのが、運転時間です。空気清浄機は、つけたり消したりするより、弱運転でも長い時間まわし続けるほうが、部屋全体の空気が入れ替わりやすくなります。

また、ほこりや花粉を取り除きたいのか、においが気になるのかによっても、見るべきポイントが違います。ほこりや花粉にはHEPAフィルター(集じんフィルター)の性能が重要ですが、タバコや料理のにおいが主な悩みであれば、脱臭フィルター(活性炭フィルターなど)の性能もあわせて確認する必要があります。

何よりも、HEPAフィルターは高性能であるがゆえに、微粒子を補修し続けることでフィルターの目が徐々に詰まっていきます。そのため、定期的なフィルター交換が必要になってくるので、ランニングコストという観点でも見ておいたほうが良いかと思います。普通のフィルターよりもややお値段は張りますので。

品質保証の仕事では、「基準を満たしていること」と「その基準が目的に合っていること」は別の話だということを繰り返し意識してきました。HEPAは性能の証明です。でも、その性能を活かせる使い方をしているかどうかを確かめることも、同じくらい大切なのです。

見えないものを知ってから、選ぶということ

空気は目に見えません。何が漂っているのかも、どれだけきれいなのかも、日常の中では感じ取りにくいものです。

ですが、見えないからこそ、仕組みを知ることに意味があるように思います。
「なぜHEPAなのか」を知った上で選ぶこと、そして使い続けること。知っている状態と知らない状態とでは、活用度合いに大きな差が出てきます。

見えないものを完全にゼロにすることはできません。
ですが、ゼロに近づける方法はあります。

先ほど少し触れたGMPには、「人為的ミスを最小限にする」という考え方があるのですが、これも「人が関わる限りミスを完全にゼロにすることはできない」という前提があります。だからこそ、ゼロに近づける方法を常に考え続けて、対応をしているのが製造現場になります。

この「完璧ではない現実を受け入れ、仕組みでコントロールする」という姿勢は、私たちの暮らしにおけるほこり対策にも通ずるところがあるように感じています。

見えないものを完全にゼロにすることはできません。
ですが、ゼロに近づける方法があります。

そして、そのゼロに近づける方法を知ることで、漠然とした気がかりが少しだけ、自分で扱えるものに変わっていきます。

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