2025年2月– date –
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祈りは気休めではなかった──科学と心理学が明かす、手を合わせることの意味
整える暮らしの断片
「気休めかもしれない」と思いながらも、つい神頼みに手を合わせてしまうことはありませんか?試験の前夜に、あるいは誰かの病気が早く治ることを願うとき。初詣の賽銭箱の前で。信仰の有無にかかわらず、多くの人が何かに向かって言葉を捧げます。「これで何かが変わるのだろうか」という疑念がどこかにあっても、それでも手を合わせる。こういった感覚を持つ人は、決して少なくないはずです。この記事では、祈りという行為が心と身体にどのような影響を与えるのかを、心理学・脳科学・生理学の研究をもとに読み... -
一年を24に、さらに72に──二十四節気と七十二候で知る、季節の解像度
整える暮らしの断片
カレンダーに「立春」と書いてあっても、窓の外はまだ冷たい風が吹いている。「春が来た」とは到底感じられない、あの違和感——。反対に「大暑」という文字を見たとき、漢字だけで変に身構えてしまって、体に汗の気配を覚えることがあったりする——。二十四節気の名前には、そういう力があります。一年を24に区切り、さらにそれを72にまで細かく刻んだ暦の体系が、日本で使われるようになってから1000年以上が経ちます。デジタルカレンダーが当たり前になった今も、二十四節気の名称は手帳の片隅に印刷され、天気予... -
市販の乾麺で茹でた蕎麦湯、飲む意味はあるのか──江戸から続く習慣を、現代栄養学で照らしてみた
整える暮らしの断片
家で蕎麦を茹でたあと、鍋の中に白くとろみのある湯がたまっていきます。お店で食事の締めに出される蕎麦湯は自然と飲むのに、家ではなんとなく流しに捨ててしまっている――そんな経験はないでしょうか。スーパーで買ってきた市販の乾麺を茹でただけの湯に、わざわざ取り分けて飲むほどの価値はあるのか。蕎麦湯を飲むという習慣は思いのほか古く、江戸時代の文献にもすでに登場しています。この記事では、当時の人々が経験的に身につけたこの一杯の意味を現代の栄養学で照らしながら、お店ではなく家庭の鍋で茹で... -
AIに聞く前に、自分に問えているか──思考力を手放さないための距離のとり方
調べる・記録する・伝える
調べようと思って、AIに聞く。 返ってきた答えを読んで「なるほど」と思い、次に進む。 特に違和感はなかった。でも思い返してみてください。あなたは、その時、何かを考えましたか? プロンプトは考えたかもしれません。でも、AIの回答に対しては、どうだったでしょうか。便利だから使う。それは当然のことです。ただ、「便利だから使う」が積み重なったとき、どこかで「自分で考える」という作業が、少しずつ外注されていきます。不便になっているわけではありません。むしろ、すべてがスムーズに進んでいきます... -
環境が変わっても「いつかしたい」のまま──先送りを好む、脳のとある性質
わたしのなかの遠い場所
「時間ができたら始めたい」「お金が貯まったら行きたい」「仕事が落ち着いたら連絡しよう」──そんな言葉を自分に言い聞かせたまま、気がつけば何年も経っていた。そういう経験は、誰にでも一度や二度あるのではないでしょうか。私自身、会社員を辞めて数ヶ月が経ったとき、あることに気がつきました。働いていた頃に「いつかしたい」と思い描いていたことが、時間という制約がなくなったはずの今も、ほとんど手つかずのままだったのです。寝台列車に乗りたい、行ったことのない土地を旅したい、英語の勉強をした...
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