冷蔵庫の扉をピタッと閉じるマグネット。コンパスが指す北。イヤホンやスピーカーの内部にも、小さな磁石がひそんでいます。磁石が引きつけるこの“見えない力”の源こそ、「磁気」と呼ばれる物理的性質です。
磁気とは、磁石や電流がもつ性質のこと。その磁気が周囲に影響を及ぼす空間が「磁場」です。
たとえば磁石の周囲に鉄粉をまくと、独特の模様が浮かび上がる──あれは磁場が目に見えるかたちで示されたものです。
そして実は、私たちの体内でも電気の流れによって磁場が生まれていることをご存じでしょうか?
脳がひらめくとき。心臓が拍動するとき。筋肉が動くとき。
これらの生体活動では、電荷をもつ微小な粒子(イオン)が体内を移動し、電気信号が発生しています。
そしてこの電流に伴って、ごく微弱ながら磁場も生じるのです。
つまり私たちは、生きているかぎり、常に体内で磁場を生み出している存在なのです。
本記事では、「人体から磁場が発生する」という一見不思議な現象を、科学の視点からわかりやすく解き明かしていきます。磁気と磁場のちがいは何か。どのように体内で磁場が生まれ、どんな役割を果たしているのか。
そして、医療やテクノロジーの世界でどのように応用されているのか。
目には見えないけれど、たしかに存在する「人体と磁場」の世界へ。
日常の見え方が少し変わる、そんな科学の旅に出かけましょう。
わたしたちは“微小な磁石”…のような存在?

「人の体が磁場を出している」と聞いても、にわかには信じがたいかもしれません。
磁場といえば、電気機器や工業製品など、人工的なテクノロジーの中で働くものという印象が強く、自分の体がそんな現象に関係しているとは考えにくいのが自然です。
しかしこれは、単なるイメージや比喩ではなく、科学的に実証された現実です。
磁場の発生は、人体の基本的な生命活動と深く関わっています。
ここからは、「なぜ電気が流れると磁場が生じるのか」という物理の原則を確認しながら、脳や心臓、筋肉といった部位が、どのように磁場を生み出しているのかを見ていきましょう。
“磁場をまとう存在”としての私たちの姿が、少しずつ輪郭を帯びてくるはずです。
磁場を生む身体──その原理は「電気」
電気が流れる場所には、必ず磁場が生まれます。
これは電磁気学の基本法則といって、中学校の理科でも登場する大切な原理のひとつです。
人体もその例外ではありません。
私たちの体内では、神経が信号を伝えたり、心臓が拍動したり、筋肉が動いたりするたびに、微弱な電気が流れています。この「生体電流」が生じるたび、体の周囲には目に見えない小さな磁場が発生しています。
つまり、人間の体は常に小さな磁石のように振る舞っているのです。
測定もできて、すでに活用されている
この微小な人体磁場は、決して空想ではありません。
現在では、磁場を測定するための高感度なセンサー技術が進歩し、医療や研究の分野で実際に活用されています。
たとえば、心臓の活動が生む磁場を記録する「心磁図(Magnetocardiogram)」や、脳の神経活動による磁場を捉える「脳磁図(Magnetoencephalography)」といった技術が、診断や研究のために日常的に使われています。
人体の磁場は、目に見えませんが確かに存在し、そして利用されている現象なのです。
身の回りの磁石と同じ原理が、自分の体にも当てはまる──そんな意外性をもった「人体磁場」。
次のセクションでは、この磁場がどのように発生するのか、具体的なメカニズムを紐解いていきましょう。
なぜ磁場が生まれるのか──人体内の発生メカニズム

人間の体は、なぜ磁場を発するのでしょうか?
それは、体の中で常に「電気」が流れているからです。そして電気が流れる場所には、必ず磁場が発生する──これは自然界の基本ルールです。
ここでは、生体のどんな活動が磁場の発生源となっているのかを、具体的に見ていきましょう。
神経の信号は“電気”でできている
私たちの思考や感覚、身体の動きは、すべて神経細胞を伝わる「電気信号」によって制御されています。
この信号は、細胞膜を挟んでイオンが移動することで生まれる電位変化──つまり微弱な電流です。
神経が活動するたびにこの電流が流れ、それによって周囲にごく小さな磁場が生まれます。
たとえわずかでも、この磁場は確かに存在し、適切な機器であれば測定も可能です。
筋肉の動きにも電流が関係している
筋肉が収縮する際にも、神経と同様に電気信号が必要です。
運動神経から送られた信号が筋繊維に届くと、その部分に電流が発生し、筋肉が動きます。
このプロセスにともなって発生する磁場は、筋肉の活動に比例して強くなることが知られています。特に太ももやふくらはぎのような大きな筋肉は、比較的強い磁場を生じます。
血液や体液の流れも磁場をつくる
意外に思われるかもしれませんが、血液の流れも磁場の一因になります。
血液中には電荷を帯びたイオン(ナトリウムやカリウムなど)が含まれており、それらが動くことで微弱な電流が発生します。
この電流によっても、周囲に小さな磁場が生じるのです。特に心臓から全身に送り出される血流は、一定の方向性と強さを持ち、それに応じた磁場が形成されます。
脳が考え、筋肉が動き、血がめぐる──そのすべてに、磁場は絶えず生じています。
では、この磁場は体のどの部分からどのように出ているのでしょうか? 次のセクションでは、人体における代表的な磁場の発生源について見ていきます。
体のどこから出ている?主要な磁場の発生源

体の中で生まれた電気信号が磁場を作る──それは理解できたとしても、「どこから出ているのか」と問われると、すぐに思い浮かばない人が多いかもしれません。実は私たちの体内には、特に磁場の発生が顕著な部位があります。ここでは、代表的な5つの発生源を紹介しましょう。
脳──思考が生む繊細な磁場
脳の神経細胞が活動するたびに、体内ではごく微弱な電流が流れます。
この電気にともなって、脳のまわりには磁場が発生しますが、その強さは、一般的な測定器では感知できないほど繊細です。
ですがその磁場は、脳のどの部分が活動しているかを知る手がかりになります。
実際に、脳磁図(MEG)という計測法では、この磁場をリアルタイムで捉え、てんかんや認知症の診断などに活用されています。
心臓──体の中でもっとも強い磁場を発する器官
心臓は、収縮と拡張を繰り返すことで血液を送り出すポンプですが、その動作も電気信号によって制御されています。
この電気活動によって生まれる磁場は、人体の中で最も強く、かつ安定的です。
心磁図(MCG)では、心臓の状態を非接触で調べることができ、心電図とは異なる情報が得られることもあります。
筋肉──動くたびに生じるダイナミックな磁場
筋肉が動くとき、そこには必ず神経からの電気信号が関わっています。そして収縮のたびに発生する電流が、磁場を作ります。特に太ももやふくらはぎのような大きな筋肉は、比較的強い磁場を生じやすく、研究やトレーニングの分野でも注目されています。
目──視覚情報を処理する神経が磁場を作る
目そのものというより、目と脳をつなぐ視神経の活動によって磁場が生じます。視覚刺激を受けた際の神経の興奮が、わずかながら磁場を発生させるのです。
この磁場は、光や映像の処理過程を研究する際に手がかりとなる場合もあります。
肺──呼吸のリズムとともに変化する磁場
肺の活動そのものが磁場を生み出すわけではありませんが、呼吸に伴う筋肉の動きや血液の流れが、間接的に磁場を形成します。特に胸郭周辺は、心臓や大動脈も関わってくるため、複雑な磁場が重なり合う領域でもあります。
このように、人体には磁場の“発信源”がいくつも存在します。
それぞれが異なる仕組みで磁場を生み出しながら、私たちの生理機能を支えているのです。
では、こうした磁場は、健康や病気にどのように関わっているのでしょうか?
次のセクションではその関係性を探っていきます。
体の磁場は健康とどう関わるのか

体内で発生する磁場は、目に見えず、日常生活の中で意識することもまずありません。
それでもこの微弱な磁場は、私たちの健康状態を知るうえで、重要な手がかりになると考えられています。
このセクションでは、人体の磁場が医療や研究の現場でどのように活用されているか、そしてその理解が誤解や過信につながらないよう、科学的視点から整理していきます。
医療に活かされる「見えない信号」
脳や心臓から発生する磁場は、体内で起こっている電気的な活動を、外から読み取るための手がかりになります。
たとえば、てんかんの発作がどこから始まっているのか、脳のどの部分がうまく働いていないのか──それを探るために使われるのが脳磁図(MEG)です。
また、心磁図(MCG)では、心電図では見えない心臓の異常を捉えられることもあります。
磁場の情報は、診断や治療方針の決定に役立つ補助的な手段として、すでに医療の現場に根付いているのです。
磁場を「使えば効く」? 健康グッズへの視線
一方で、磁場の存在が注目されるにつれ、「磁場を外から与えることで健康になれる」という考え方も広まってきました。磁気ネックレスやブレスレットなど、市販の健康グッズには「血行を促進する」「肩こりをやわらげる」といった効能がうたわれている製品もあります。
これらの中には、家庭用医療機器として認可されているものも存在しますが、その科学的根拠は限定的で、個人差も大きいのが実情です。
とくに、「強い磁場ほど効果がある」「万能な治療法として使える」といった過信は避けるべきです。
測ることと、使うことは違う
人体の磁場は、健康状態を読み取るための“サイン”として活用されているものであり、それ自体が治療の手段というわけではありません。
つまり、「磁場がある」ことと「磁場を使えば治る」は別の話です。
微弱な生体磁場は、医療や研究において静かに活かされていますが、それを拡大解釈したり、過度な期待を寄せたりすることは避けるべきです。あくまで「理解の手がかり」として、冷静に向き合うことが求められます。
このように人体から生まれる磁場は、健康状態のヒントとなる重要なサインでもあり、医療やヘルスケアに応用可能な情報源でもあります。一方で、その扱いには注意が必要であり、科学的根拠と民間的主張を区別して理解することが大切です。
次は、この人体磁場が、私たちを取り囲む「地球の磁場」とどのような関係を持っているのかを見ていきましょう。
地球の磁場と人間の体は関係しているのか?

私たちの体が磁場を発していることがわかると、次に気になるのが「地球の磁場」との関係です。
コンパスの針が指す北、オーロラを生む電磁嵐──地球の磁場は巨大でダイナミックな自然現象ですが、私たちの体もその影響を受けているのでしょうか?
このセクションでは、人体磁場と地球磁場との関係性に焦点を当ててみましょう。
地球磁場はすべての生物に影響を与えている
地球全体を包み込むように広がっている磁場は、主に地球内部の核の運動によって生じています。
この磁場は、方位磁針や電波通信といった技術だけでなく、生物の生理機能にも一定の影響を与えていると考えられています。
たとえば、渡り鳥やウミガメは地球磁場を頼りに長距離移動をしているとされ、地磁気を“感知する”能力をもつ生物が実在します。
人間も地球磁場の影響を受けているのか?
人間に地球磁場を感知する器官があるかどうかは、はっきりとは証明されていません。
しかし、地磁気の変化が睡眠リズムや血圧、自律神経に影響を与える可能性を示唆する研究も存在します。
また、太陽フレアによる磁気嵐の際に、頭痛や倦怠感を訴える人が増えるという報告もあり、明確な因果関係は不明ながら、生体が地球磁場の変動に反応する可能性は否定できません。
人体磁場と地球磁場──重なりあう場の中で
興味深いのは、私たちの身体が自ら磁場を発していると同時に、地球の磁場の中に常に包まれているという事実です。
つまり、人体の磁場と地球磁場は空間的に重なり合って存在しており、互いに干渉する可能性もあります。
このため、脳や心臓が発する微弱な磁場を正確に測定する医療機器には、外部磁場の影響を遮断する磁気シールドルームが用いられます。これは、地球磁場を含む周囲の磁場が、測定を妨げる“磁気ノイズ”になりうるからです。
人間が地球という巨大な磁場環境の中で生きている以上、自身の磁場もまた、その影響から完全に自由であるとは言えません。では、そんな見えない磁場を、私たちはどのように“見て”いるのでしょうか?
次のセクションでは、人体磁場を可視化する最先端の技術に迫ります。
磁場を“見る”という技術──医療と科学の最前線

私たちの体が磁場を発していることは分かっていても、それが実際に「どのように観測され、何に活かされているのか」はあまり知られていません。
このセクションでは、人体から発せられるごく微弱な磁場を科学がどうやって“見える化”しているのか、そしてその先にある医療や研究の現場について紹介します。
微弱な磁場を捉える「超高感度センサー」
人体磁気の観測に用いられる代表的な技術が、ここまでで何度か出てきている脳磁図(MEG)と心磁図(MCG)です。
これらの技術は、超伝導量子干渉装置(SQUID)と呼ばれる極めて高感度な磁気センサーを用いて、脳や心臓の活動に伴う磁場をリアルタイムで計測します。
磁場の強さは地球の磁場の数百万分の1〜数十億分の1ほどですが、機器の精度はその差を見逃しません。
特に脳磁図は、てんかんや認知機能障害の診断・研究において有力な手法となっています。
“ノイズだらけの世界”で磁場を測るという難しさ
人体磁場の観測は、外部の磁場のノイズとの戦いでもあります。
自動車やエレベーター、スマートフォンなど、現代社会には強い磁場を発生させるものがあふれています。
そのため、脳磁図や心磁図の測定は、磁気シールドルームと呼ばれる特別な空間で行う必要があります。
このように、精密な観測には高度な装置と環境が欠かせません。
観測から解析へ──AIと融合する次世代技術
近年では、測定された磁場のデータをAIで解析する研究も進められています。
例えば、脳の活動パターンから個人のストレス状態や認知特性を推定したり、微細な心臓の異常を早期に検知したりと、磁場の可視化と機械学習の組み合わせが新たな診断法を切り拓こうとしています。
磁場の観測は、ただの記録ではなく、未来の医療のヒントを探るツールになりつつあるのです。磁場は目に見えない存在ですが、それを“見る”技術は着実に進歩しています。
まとめ|私たちは磁場の中で生きている

脳が働き、心臓が鼓動し、筋肉が動くたび、体の中では電気が流れています。
そのたびに、ごく微弱な磁場が生まれます。これは特別なことではなく、生きているすべての人の体内で、絶えず起こっている現象です。
ふだん意識することはありませんが、この磁場は医療の現場で、脳や心臓の状態を調べるための生体信号のひとつとして活用されています。
磁場は目には見えません。ですが、確かにそこにあり、重要な情報を含んでいます。
電気が流れる場所には磁場が生まれるという、ただそれだけの自然のルールが、私たちの体の中でも正確に働いているのです。
自分の体が、見えない磁場をまといながら動いている。
そんな事実を知るだけでも、身体という存在の見え方は少し変わってきます。
磁石のことを思い出すとき、ほんの少しだけ、自分の体のしくみも思い出してみてください。
見えないけれど、確かに存在している──磁場は、そんな身体の営みのひとつなのです。


よくある質問(FAQ)
人の体から出る磁場は、磁石と同じものですか?
原理は同じで、どちらも電流が流れることで磁場が発生します。ただし、永久磁石のように強く安定した磁場を持つわけではありません。人体から出る磁場は非常に微弱で、神経や筋肉の活動に伴って常に変動しています。
パソコンやスマートフォンの磁場は、人体に影響しますか?
通常の使用であれば健康への影響はほとんどないとされています。ただし、心臓ペースメーカーなどの医療機器を使用している方は、磁場を発する電子機器との距離や使用環境に注意が必要です。
自分の磁場を測ることはできますか?
一般的な家庭用機器では測定はできません。人体磁場は非常に微弱で、測定には専門的なセンサーと磁気シールドルームが必要です。現在は病院や研究施設でのみ利用されています。