文章がわかりにくいと言われても、どこが悪いのかわからない

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文章がわかりにくいと言われた経験、ありませんか?
あるいは、自分では丁寧に書いたつもりなのに、読み返してみたら何が言いたいのかよくわからなくなっていた、ということも。

そういうとき、一番困るのは「どこが悪いのかがわからない」ことです。わかりにくいと言われた、でも、どこをどう直せばいいのかが見えない。そのまま「自分は文章が苦手だから」という結論に落ち着いてしまう。

ですが、司書として情報管理に携わり、工場で多くの文書を管理してきた経験から言うと、文章が伝わらない理由は、才能や文章力とはほぼ関係がありません。伝わらない文章には、ほぼ必ず構造的な理由があります。
そしてその理由は、正しい視点さえ持てば見つけられるようになります。この記事では、その視点を一緒に探っていきたいと思います。

目次

「どこが悪いのかわからない」が、一番解決しづらい


文章の悩みにはいくつかの段階があります。「うまく書けない」という悩みより、「どこが悪いのかわからない」という悩みの方が、実ははるかに解決が難しい。なぜなら、問題が見えなければ、直しようがないからです。
「わかりにくい」という評価は受け取った、でも何が問題なのかが特定できない──このループに入ってしまうと、文章への苦手意識だけが積み重なっていきます。

批評と改善は、まったく別のものである

「わかりにくい」という評価は、批評です。でも批評は、そのままでは改善の指針になりません。「どこがわかりにくいのか」「なぜわかりにくいのか」が見えてはじめて、改善できるようになります。

料理に例えるなら、「おいしくない」と言われただけでは、塩が足りないのか、火が通りすぎているのか、素材の問題なのかがわかりません。文章も同じで、「わかりにくい」という評価の裏に、どんな具体的な問題があるのかを特定することが、改善の出発点になります。多くの人が「自分は文章が苦手」という結論に早々にたどり着いてしまうのは、この特定のプロセスを飛ばしてしまうからではないでしょうか。

苦手意識は、どこから来るのか

学校教育における「作文」の経験が、文章への苦手意識の一因になっているという指摘があります。作文では、表現の豊かさや個性が評価される一方、「構造」や「情報の整理」はほとんど教わりません。ところが、日常で求められる文章のほとんど──メール、報告書、説明文──は、表現の豊かさよりも、情報の正確な伝達が目的です。

つまり、「文章が苦手」と感じている多くの人は、評価される文章の種類と、日常で求められる文章の種類が、そもそも違うまま練習してきた可能性があります。苦手なのではなく、軸がずれていただけかもしれない。この視点を持つだけで、文章への向き合い方は少し変わってくるはずです。


では、「どこが悪いのか」を特定するための視点は、どこから得られるのでしょうか。文章の問題を構造として捉える上で、情報管理という仕事の視点が一つの手がかりになると感じています。司書として日々情報の整理と検索に向き合ってきた経験から言うと、伝わらない文章の多くは、情報の「届け方の設計」に問題があります。

司書が文章を設計するときに意識していること


司書の仕事の本質は、情報を「必要な人が必要なときに見つけられる状態にすること」です。どれほど価値ある情報でも、必要な人がたどり着けなければ、その情報は存在しないに等しいわけです。
膨大な資料を日々整理・管理する中で染み付いたこの感覚は、文章を書くときの設計にも直接つながっています。どこに何を置くか、どう分類するか、どう案内するか。図書館で資料を配置するときの思考と、文章を設計するときの思考は、構造として非常に近いものがあります。

「検索性」という概念で文章を捉える

司書として情報管理に向き合ってきた中で、文章を設計するときに最初に意識するのは「この情報、読み手はどこで探すだろうか」という問いです。
読み手は文章を最初から最後まで丁寧に読んでくれるとは限りません。むしろ、自分が知りたいことを探しながら読むことの方が多いです。そのとき、情報が適切に整理され、見出しや段落の切れ目が正しく機能していれば、読み手は迷わずたどり着けます。
逆に情報が混在していたり、何についての段落なのかが不明確だったりすると、読み手は「読む」前に「探す」という余分な作業を強いられます。

これが「検索性の低い文章」です。内容がいくら正確でも、たどり着けなければ伝わりません。図書館や図書室で正しく分類されていない資料は、存在していても使われることはないのです。

見出しは「目次」であり、段落は「棚」である

図書館や図書室では、資料を分類する際に「この情報はどのカテゴリに属するか」を厳密に考えます。カテゴリが曖昧だと、利用者は目的の資料にたどり着けません。文章における見出しも、まったく同じ役割を果たしています。

見出しは読み手への案内板です。「この先に何があるか」を正確に示す必要があります。ところが、多くの文章で見出しは飾りのように扱われているように感じます。見出しと本文の内容が一致していなかったり、見出しだけ読んでも何の話かわからなかったりする。読み手はそのたびに立ち止まり、「これは自分が求めている情報か」を判断しなければならないわけです。

段落も同様です。ひとつの段落には、ひとつのテーマだけを置く。それだけで、文章の検索性は大きく改善されます。情報を詰め込みすぎた段落は、雑然と本が積まれた棚のようなもので、必要なものを取り出すのに無駄な手間がかかります。棚に置かれた本の背表紙が読めてはじめて、利用者は本を手に取れる。

段落の冒頭の一文が、その「背表紙」の役割を担っています。

工場の文書管理で学んだ、「どこが悪いのか」の見つけ方


もう一つ、「どこが悪いのかわからない」という状態から抜け出すために、医薬品・化粧品の工場で文書管理に携わってきた経験からお伝えできることがあります。工場では、文書に問題があったとき「なんとなくわかりにくい」では済みません。どこがどう問題なのかを必ず特定し、記録し、再発を防ぐ。この繰り返しの中で、伝わらない文章の問題を見つけるための視点が身につきました。

「誰が読んでも同じ行動をとれるか」で問題箇所が浮かぶ

工場の文書で最も重視されるのは、「誰が読んでも同じ行動をとれるか」という基準です。この基準を自分の文章に当てはめてみると、「どこが悪いのか」が浮かび上がりやすくなります。

具体的には、自分の文章を読み返しながら「この一文、人によって違う解釈ができないか」を問いかけてみてください。解釈が複数生まれる箇所が見つかったなら、そこが問題箇所です。書き手は「意図」を持ったまま文章を読むため、自分では気づきにくいのです。しかし「自分が書いた」という事実を一度忘れて、その内容を知らない人として読み直すと、途端に見えてくるものがあります。

工場の文書管理では、この「初めて読む人として読み直す」という推敲の姿勢が、文書の品質を担保していました。日常の文章でも、同じ問いかけが「どこが悪いのか」を特定する手がかりになります。

情報が多すぎることも、「悪い箇所」になる

伝わらない原因として見落とされやすいのが、情報の過多です。工場の文書では、不要な情報が混在した手順書は、作業者の判断を誤らせるリスクがあるとして、問題文書として扱われます。何が重要で何がそうでないかが見えなくなるからです。

自分の文章を読み返したとき、「この一文がなくても意味は通じるか」と問いかけてみてください。通じると答えられる文が複数見つかるなら、そこが「悪い箇所」です。
伝わらない原因は、足りないことだけではありません。多すぎることもまた、本当に伝えたいことを薄め、読み手を迷わせます。

削った後の文章のほうが、多くの場合で強くなるのはそのためです。

「どこが悪いのか」を自分で見つけるために


伝わらない文章には、繰り返し現れるパターンがあります。そのパターンを知っておくことで、「どこが悪いのかわからない」という状態から抜け出せる可能性があります。ここでは、情報管理と文書管理の経験から特に重要だと感じる三つを取り上げます。どれも特別なスキルではなく、視点を変えるだけで気付けるようになります。

主語と述語の距離を縮める

日本語は述語が文末に来る言語です。そのため、主語と述語の間に長い修飾語や挿入句が入ると、読み手は「この主語はどの述語に対応しているのか」を頭の中で保持しながら文を読み続けなければなりません。

教育心理学者のジョン・スウェラーが1988年に提唱した「認知負荷理論」では、人間が一度に処理できる情報量には上限があり、それを超えると理解が著しく低下するとされています。主語と述語の距離が遠い文章は、この認知負荷を無駄に高めます。そのため、読み手は内容を理解する前に、文の構造を解読するという余分な作業を強いられてしまいます。

自分の文章を読み返すとき、主語を見つけてからその述語がどこにあるかを確認してみることが、改善の第一歩になります。主語と述語の間に何文節もの情報が詰まっているなら、文を分割することを検討してみてください。

抽象と具体を、交互に置く

抽象的な概念だけが続く文章は、読み手の頭の中にイメージ像を描けません。何かを説明しているはずなのに、読み終えても霧の中にいるような感覚が残る。逆に、具体例だけが並ぶ文章は、主張が見えにくくなります。
「で、結局何が言いたいのか」という感想を残してしまいます。

伝わる文章は、抽象と具体の往復で成り立っています。概念を示したら、それを照らす例を置く。経験を語ったら、そこから取り出せる構造を示す。この往復が、読み手の理解を一段ずつ積み上げていきます。

たとえば「継続するにはハードルを下げることが大切です」という一文だけでは、頭ではわかるけれど何をすればいいのかが見えません。でも「毎朝のランニングをやめてしまったとき、靴を玄関に出しておくだけにしたら続くようになった」という経験を添えると、「ハードルを下げる」という概念が輪郭を持ちます。
逆に経験だけを並べても、「それはその人の話でしょ」で終わってしまいます。概念と経験がセットになったとき、読み手は「自分にも使える」と感じられるようになります。

また、工場の文書では、「手順の概要(抽象・全体像)」と「具体的な操作(具体)」を必ずセットで記載します。概要だけでは作業者は動けず、操作だけではその業務の全体像が見えないからです。全体像が見えない状態での操作は、どこを気をつけたら良いのかがわからなくなるのです。文章の伝達においても、この両輪は欠かせないのです。
自分の文章の中で、抽象が続きすぎていないか、具体ばかりで概要が見えなくなっていないか、確認してみることも効果的です。

一文に入れる情報は、一つだけ

認知科学者のジョージ・ミラーが1956年に発表した研究では、人間のワーキングメモリが同時に扱える情報のまとまりは7±2程度であることが示されています。いわゆる「マジカルナンバー7」と呼ばれる知見です。

一文に複数の情報を詰め込むと、読み手はそれぞれの情報を保持しながら文章の続きを読まなければなりません。情報が一つ処理される前に次の情報が来ると、前の情報が取りこぼされます。これが「一文を読んだのに、内容が頭に入ってこない」という感覚の正体のひとつです。

「一文一義」という原則があります。一文には一つの意味だけを持たせる。これは文章を単純にするためではなく、読み手の認知資源を正しく使うための設計です。短い文章が「貧しい」わけではありません。短くても伝わる文章こそが、最も密度の高い文章なのです。

文章は慣れでもある


ここまで挙げてきた視点を持って自分の文章を読み返すと、「わかりにくい」の評価に対しての「どこが悪いのかわからない」が、具体的な言葉に変わり始めます。

「検索性が低い」「見出しが内容を案内できていない」「一文に情報が詰まりすぎている」など——こうした言葉で問題が見えたとき、それはもう「自分の文章力のなさ」ではなく、「この箇所の設計の問題」です。
設計の問題なら、直すことができます。

「文章がわかりにくい」という評価を受けたとき、多くの人は自分の表現力や語彙力を疑います。ですが、情報管理と文書管理の現場で繰り返し向き合ってきたのは、伝わるかどうかはほぼ構造の問題だということでした。

伝わらない文章には、必ず具体的な原因があります。そしてその原因は、視点さえ変えれば見えてきます。この記事で挙げてきたのは、まさにその視点です。

あなたの文章が伝わらなかったとしたら、それはあなたの力が足りなかったからではなく、文章の設計に、まだ気づいていない視点があっただけなのです。

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